三島由紀夫さんははたして空飛ぶ円盤を見たのだろうか

010701sonota378-trans昨日の夜、私は南東の方向にある火星を見ていました。火星が地球に近づいて約7700万㌔離れているとのことですが、ひときわ輝いていました。

今は昔、人は屋根の上でギターを弾いて歌を歌っていました。今はこのような風景をテレビで観ることはなくなりましたが、日本空飛ぶ円盤研究会にも空飛ぶ円盤観測会なるものがあって、大の大人が双眼鏡を片手に空を眺めていたことを考えると、昔はもっと宇宙に思いを馳せていたのかもしれません。

三島由紀夫さんも、夏になると、空飛ぶ円盤を探して自宅の屋上で双眼鏡を片手に空を眺めていたのです。三島由紀夫さんが婦人倶楽部に連載した社会料理三島亭にこんなことを書いています。

私も一度どうしても大型のかがやかしい円盤が、夏の藍いろの星空の只中から、突然姿を現してくれるのを期待して、夏になると、双眼鏡を片手に、自分の家の屋上に昇らずにはいられない。これをわが家では「屋上の狂人」と呼んでいる。(中略)

それでは三島由紀夫さんは空飛ぶ円盤を目撃したのでしょうか。奥様と一緒に自宅の屋上でまた空飛ぶ円盤を探していたときです。

西北方の一点を指さして、妻が「アラ、変なものが」と言った。見ると、西北の黒雲の帯の上に、一点の白いものが現れていた。それは薬のカプセルによく似た形で、左方が少し持ち上がっていた。そして現れるが早いか、同じ姿勢のまま西へ向かって動き出した。黒雲の背景の上だからよく見える。私は円盤にも葉巻型というのがあるのを知っていたから、それだな、と思った。(中略)

その後、三島さんは、自分で見たものが信じられなくなるものの、人からそれは錯覚だろうと言われると腹が立つとこれが空飛ぶ円盤だったのかはっきりしないのですが、さすが小説家だと思うのは、あれが本当の空飛ぶ円盤ならそれを操縦している宇宙人は、そんなやりとりを嘲り笑っていると綴っています。

もし本当に地球より進化した宇宙人がいるとしたら、その宇宙人は、現在の地球を第三者の目で見て笑っているのかもしれません。

Share Button

三島由紀夫とUFOの意外な出会い「葉巻型円盤を目撃していた!?」 #4

s-UFO14こうした三島が書いた円盤小説「美しい星」について、荒井さんは、「作品中に宇宙人一家が当時のフルシチョフ・ソビエト第一書記に核廃絶の手紙を送るくだりがあるが、それは当会が実際に行った事を下敷きにしているのではないかと思う。また宇宙船を「宇宙機」と書いてあるが、これは私の造語で機関誌のタイトルからの引用でしょう」と指摘する。

三島と親交のあった文芸批評家、奥野健男さんは、「三島の円盤好きは仲間内では有名です。会えば、円盤やお化け、冒険談ばかりしていた。むしろ文学や思想の話なんてしませんでしたよ」と笑う。さらにこう続ける。「三島は円盤の実在を信じてましたね。三島や僕らの世代は子供のころから、空想小説や冒険記、怪奇物に接してたから、(円盤好きも)そうしたことの影響かもしれない。また「美しい星」のラストシーンは、主人公が円盤で飛び去ることを暗示しているが、三島には「空飛ぶ円盤で別世界とつながる」という考えはなったかもしれないですね」

さて、三島は結局円盤と遭遇できたのだろうか。奥野さんは、「会えなかったときいてる」と振り返る。また、三島自ら「美しい星」を紹介している一文に、「自宅の屋上で、夏の夜中、円盤観測を試みたことも一再にとどまらない。しかし、どんなに努力しても、円盤は現れない」と円盤発見の「断念宣言」をしているのだ。

三島ファンとしてはぜひ、UFOの観測に成功し、同氏の筆で書きとめてもらいたかったところだ。しかし、「目撃成功」ともとれる文章も残している。それは月刊誌「婦人倶楽部」(講談社)のエッセーで、三島が35、6歳の時に書かれたものという。

三島は夫人と共に自宅屋上で円盤探しをした話をまず紹介。「…妻が、『アラ、変なものが』と言った。見ると…薬のカプセルによく似た形で…西へ向かって動き出した…円盤にも葉巻型というのがあるのを知っていたから、それだなと思った」と目撃談を載せている。三島が円盤を見ることができたのかどうか、いまとなってはわからない。

しかし、三島は円盤観測仲間の作家・故北村小松氏の弔文(朝日新聞64年4月30日付け)に、「北村さん、私は今あなたが、円盤に乗って別の宇宙へ行かれたことを信じている」と記しているのだ。いわゆる空飛ぶ円盤が実在するかどうかは今もってはっきり分からない。それでも、天才・三島由紀夫が「UFO」の飛来を信じ、ロマンをかきたてていた事実は動かない。三島とUFO。興味は尽きることがない。(終わり)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button

三島由紀夫とUFOの意外な出会い「円盤研究会の熱心な会員だった!」 #3

s-UFO14そして、三島は57年6月の同会の円盤観測会にさっそく参加。双眼鏡を熱心にのぞきこみ、東京の空に円盤を探し続けた。荒井さんは、「ほかにも有名人の入会はあったが、会費だけという人が多かった。三島さんは観測会に参加するほど熱心でした」と懐かしそう。

この入会をきっかけに、三島はあちこちで円盤について書き記し、話している。まず、前述の円盤研究会に寄せたエッセー「現代生活の詩」を紹介しよう。

これからいよいよ夏、空飛ぶ円盤のシーズンです。去年の夏は、熱海ホテルへ双眼鏡ももって行って、毎夜毎夜、いはゆるUFOが着陸しないものかと、心待ちにのぞいてゐましたが、ついに目撃の機会を得ませんでした。その土地柄からいっても、ヘタに双眼鏡に凝っていたりすると、疑はれて困ります。世間はなかなか高遠なる趣味を解しません。

宇宙に関するファンタスティックな趣味は、少年時代、稲垣足穂氏の小説によって養はれたもので、もともと科学的素養のない私ですから、空飛ぶ円盤の実在か否かのむづかしい議論よりも、現代生活の一つの詩として理解します。

今年の夏は、ハワイからアメリカ本土をまわる予定ですから、きっと円盤に遭遇するだろうと、今から胸踊らせてゐます。南十字星なんかより円盤の方がずっと強く、私の旅へのあこがれを誘うのであります。

以上が全文だが、UFOを「現代の詩」というあたり、ロマンチストぶりがうかがえるではないか。では、このアメリカ旅行の成果はどうだったろうか。帰国後、周囲に、「僕は円盤を信じている。アメリカは日本よりしばしば現れるらしいが、とうとう会わずじまいさ。そのために旅客機も夜の便を選んだりしたんだが…。」ともらし、残念がったという。旅客機をあえて夜の便にするなど、円盤に対する想いの入れ方は相当な感じがする。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button

三島由紀夫とUFOの意外な出会い「円盤研究会の熱心な会員だった!」 #2

s-UFO14実は三島作品の中には宇宙人を主人公にした「美しい星」という小説がある。「仮面の告白」「午後の曳航」「豊饒の海」などの代表作の陰に隠れ、あまり目立たないが、「美しい星」は唯一のSFチックな作品なのだ。「美しい星」は62年に月刊誌に連載された長編小説で、三島37歳の作品。

あらすじを説明すると、埼玉県飯能市に住む資産家一家4人が円盤を目撃したことから、自分たちが宇宙人だったことに気付く。さらに人類を核戦争などの破壊から救うため平和運動に邁進する。これに対し、地球破滅を目指す別の宇宙人グループが登場。資産家一家の父親(火星人)とこのグループで人類の救済をめぐり激しい論争を展開するというものだ。

主人公が火星人、木星人、水星人、金星人の一家というのも三島作品の中ではかなりの型破りだが、発表当時は、「現代人、現代史批判として読み応えがある」「独創的な政治小説」と好評だった。

だが、天才の独創にも秘密があった。「随所に当会の影響がみられます」と話すのは、日本空飛ぶ円盤研究会の荒井欣一代表だ。荒井さんは、「三島さんは実は当会の会員だったんですよ」と明かす。

同協会の発足は55年7月。結成から約1年後に、荒井さんの自宅に一本の電話がかかってきた。「もしもし。円盤研究所ですか。入会したいのですが…。」と男性の声に、荒井さんが入会申込書を送付する旨を告げ、おもむろに名前を尋ねると、「三島由紀夫です」と答えたという。よもやいうが、まもなく返ってきた入会書には、「文士 三島由紀夫」と鮮やかに書かれていた。荒井さんは、「有名な作家でしょう。びっくりしました」と、当時の興奮を振り返る。三島の会員番号は「12」。同会は以降、五百人以上の会員を集めるが、この会員番号から三島が初期の会員だったことがわかる。三島が32歳の時のことだ。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button

三島由紀夫とUFOの意外な出会い「円盤研究会にエッセーを寄稿」 #1

s-UFO14「サンデー毎日」1993年12月5日付けに掲載された内容です。

「えっ。三島と空飛ぶ円盤?それは初耳です。それにこんな資料や写真は見たことがない」三島の死の直後から追悼会「憂国忌」を毎年主催している「三島由紀夫研究会(本部・新宿)の三浦重周さんは、驚きの声を上げた。

三浦さんが見た写真と資料は日本空飛ぶ円盤研究会が保存していたもので、写真は1957年6月、東京・日比谷のビル屋上で円盤観察をする三島の姿をとらえている。資料は同協会の機関誌「宇宙機」13号(57年7月発行)に三島が寄稿「現代生活の詩」と題したエッセーだ。このエッセーの中身は後で述べるとして、三浦さんは、「三島先生がUFOに興味を持っていたとは知らなかった。先生は論理的、哲学的な方だとばかり思っていたが、円盤という荒唐無稽な物にも熱心だったんですね。ちょっと意外でしたね」と驚きを隠さない。

三島由紀夫研究会は、1971年から現在まで三島研究の連続講座を170回開き、現在も続けている。テーマは三島の思想、作品など多岐にわたっているが、「UFOに触れた講座は23年間、1回もなかった。今後、検討しなくてはいけませんね」と言う。

三島の事跡に詳しい同会事務局の正木和美さんは、「三島さんが円盤観測会に参加した記録はあったが、くわしいことはわからなかった。こんな写真があったんですね」と感心しきりだった。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button

宇宙食「空飛ぶ円盤」(三島由紀夫氏)#4

010701sonota389-trans3、4秒、肉眼で迫ったのち、私はあわてて双眼鏡を目にあてたが、焦点がうまく合わない。妻も写真機のファインダーをのぞいている。私が双眼鏡から目を離したとき、すでにその姿はなかった。妻はファインダーの中にキャッチしていたが、シャッターを切る自信がないままに、出現してから5、6秒で、西方の雲の中へ隠れたのである。

これを見て、われわれが鬼の首でも取った気になったのは言うまでもない。しかし周囲は意外に冷静で、父の如きは、夫婦が共謀してデッチ上げをやっているんだ、と頭から信じない。肝腎な目撃者の妻も、「あれ、きっと円盤よ。信じるわ、私も。でも一度見たから、又見なくてもいい」とケロリとしている。

日が経るにつれて、私の自信も何だか怪しくなってきた。それが果たして円盤だったかどうか、科学的に証明する方法はないし、北村小松氏も風邪で寝ておられて、目撃されなかった。

日ましに私は、自分で見たものが信じられなくなっていながら、人が「そりゃ目の錯覚だろう」などと言うと、腹が立つのである。とにかくわれわれ夫婦が、へんなものを見たのはたしかである。それを誰にも信じさせることができないのは、妙に孤独な心境に私を追い込んだ。これも翻って考えると、嘘八百を並べて人をたぶらかしてきた小説家稼業の報いであろう。しかしもしあれが円盤だとしたら、乗っていた宇宙人は、今ごろ私のあやふやな心境を、嘲り笑っていることであろう。「ここに俺がいるのに、あいつは地球人のつまらん常識にとらわれている」という彼らの笑い声が耳に聞こえてくるような気がする。

哲学的見地から云うと、こうしてここにわれわれ人間が生存しているという事実も、宇宙人の存在以上に確実なものといえるかどうか、甚だあやしいのである。夏の星空がそのことを教えてくれているようだ。(終わり)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button

宇宙食「空飛ぶ円盤」(三島由紀夫氏)#3

010701sonota376-transいくら待っても、空には何の異変も現れなかった。飛行機一つ通らず、ときどき屋上をかすめて飛ぶ朝の小鳥たちの、白いお腹を見るだけであった。空がこんなに静かで何もないものだとは知らかなった。

5時をすぎると、妻はニヤニヤしてきた。「もう円盤なんか現れるもんですか」と妻は言いはしないが、あたりの朗らかな初夏の朝の景色が、口をそろえて明らかにそう言っている。

畑のあいだには、早くも犬を散歩に連れている人の姿が見え、緑の野の間の道を、白ズボンの腰に白い新聞の束を抱えた新聞配達が、鹿のように大股に駈けすぎる姿が小さく見える。向こうの丘の白亜のビルが、朝日をうけて、くっきり浮き出て来る。「5時半まで待とうよ」と私が言いながら、5時20分ごとになると、そろそろばかばかしくなり、眠くもなって、屋上を降りたくなってきた。

5時25分になった。もう下りようとしたとき、北のほうの大樹のかげから一抹の黒い雲があらわれた。するとその雲がみるみる西方へ棚引いた。「おやおや異変が現れたわ。円盤が出るかもしれなくってよ」

妻が腰を落ちつけてしまったので、私もその棚引く黒雲を凝視した。雲はどんどん西方へむかって、非常な速さで延びてゆく。西方の池上本門寺の五重塔のあたりまでのびたとき、西北方の一点を指さして、妻が「アラ、変なものが」と言った。見ると、西北の黒雲の帯の上に、一点の白いものが現れていた。それは薬のカプセルによく似た形で、左方が少し持ち上がっていた。そして現れるが早いか、同じ姿勢のまま西へ向かって動き出した。黒雲の背景の上だからよく見える。私は円盤にも葉巻型というのがあるのを知っていたから、それだな、と思った。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button

宇宙食「空飛ぶ円盤」(三島由紀夫氏)#2

空にはときどき説明のつかぬふしぎな現象があらわれることはまちがいがない。それが大てい短い間のことで、目撃者も少なく、その目撃者の多くには科学的知識も天文学的知識も期待できないから、堂々たる科学的反駁を加えられると、自分の見たものに自信がなくなって、はっきりこの目で見たものも妄想のような気がして来るであろう。こうして葬り去られた目撃例は少なくないにちがいない。

或る日のこと、北村小松氏から電話があって、5月23日の朝5時ごろ東京西北方に円盤が現れるかもしれない。という情報が入った。

私は毎晩徹夜仕事をしているので、午前5時といえば、寝に就く時間である。4時半になると、待ちかねて仕事も手につかないでいた私は、妻を叩き起し、寝ぼけ眼の彼女を促して屋上へ昇った。私は双眼鏡を肩にかけ、妻はカメラを携えていた。

屋上はうすら寒く、そこへ昇るか昇らぬかに、日が東の屋根から顔を出した。

日の出というやつは、食紅をまぶしたお餅のようなもので、屋根に引っかかってなかなか上って来ない。ようやく屋根を離れるころ、真紅の色は卵黄いろに変り、そうなるとギラギラして、正視することができなくなった。空は完全に明るくなり、地平線上だけが薄紅と灰色におぼめいて、天頂はすでにあざやかな青である。すっかり夜が明けた空には神秘が少しも感じられないので、私はガッカリした。

屋上の片はじに坐って、西北方を眺めている。眼下の畑の緑が鮮明に、鯉のぼりの矢車がきらめいている。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button

宇宙食「空飛ぶ円盤」(三島由紀夫氏)#1

婦人倶楽部に連載した三島由紀夫さんのエッセイの一部を紹介します。(連載日付は不明です。)

社会料理三島亭 宇宙食「空飛ぶ円盤」

夏になると、寝転がって満天の星空を眺めるというような心境に誰しもなるもので、そのときの私のきまって思い出すのは「空飛ぶ円盤」のことである。

私が「空飛ぶ円盤」に本格的な興味を持ち出したのは、フランスの新聞記者のエイメ・ミッシェルという人の書いた「空飛ぶ円盤は実在する」(邦訳)を読んでからで、この本を読んだ以上、円盤の実在は疑いの余地がないように思われた。ところが大岡昇平氏は、パリでこの本の原書を読んでから、「円盤なんてマユツバ物だ」と確信するにいたったというのだから、同じ本でこれだけ反対の影響を及ぼしたところを見ると、田辺貞之助氏の邦訳がよほどの名訳なのにちがいない。

一旦興味を持ち出すと、世間には空飛ぶ円盤の熱狂的なファンが相当多いことに気がついた。この道で有名な北村小松氏とは文士劇の楽屋でお初にお目にかかったが、氏が非常に残念がっておられるのは、氏自身が一度も実見しておられぬことで、その点では、空飛ぶ円盤を鎌倉山ですぐ目前に見られた森田たま女史にかなう人はいない。女史からその実見記を逐一うかがうと四十分たっぷりもかかるほどで、その描写は精細をきわめている。ニューヨーク在留の猪熊弦一郎画伯も、円盤狂では人後に落ちず、私との話は円盤のことばかり。今日も、むしあついニューヨークの夏の深夜、夜ごとに送られる円盤関係ニュースの特別番組を持つラジオに、いっしんに耳を傾けておられるのであろう。

私も一度どうしても大型のかがやかしい円盤が、夏の藍いろの星空の只中から、突然姿を現してくれるのを期待して、夏になると、双眼鏡を片手に、自分の家の屋上に昇らずにはいられない。これをわが家では「屋上の狂人」と呼んでいる。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button

空飛ぶ円盤と人間通~北村小松氏のこと~(三島由紀夫氏)#2

世俗的に言えば、氏はあんまり早く超越してしまったと思われるふしがある。今、私の机上には、氏の長編小説「銀幕」や、1920年代の無声映画のシナリオ集や、トーキー初期のシナリオ集(「マダムと女房」を含む)が置いてある。そこには映画という、当時のもっとも新奇な神秘的な玩具に熱狂した氏が躍動している。しかし一等面白いのは、氏は小型映画用シナリオとして書いた掌編で、その「望遠鏡」という一編では、シリウスの伴星を見ようと志して、超強度望遠鏡を発明した男が、半裸の汗だくで、望遠写真をやっと写したところが、一点の黒点のある平面のみが写っており、あとで細君から、それはあなたの背中のほくろの写真じゃないかと言われ、男の溜息の字幕でおしまいになる。

「ああ、今度はあまり遠くが見えすぎたのだ?」

遠い恒星よりももっと遠い自分の背中が見えてしまう目を持った男、その男の不幸を、そのころから北村氏は知っていた。

飛行機も映画も、自動車も円盤も、すべて氏の玩具にすぎず、氏の本領は人間通だったのかもしれない。

それを証明するのは、婦人公論の5月号に出た、氏の「わが契約結婚の妻」という文章で、私はこれこそ真の人間通の文章だと感嘆し、早速その旨を氏へ書き送ったが、今にしてみると、それは氏の心やさしい遺書のような一文であった。

それは道説的な表現で、奥さんへの愛情と奥さんの温かい人柄を語った文章であるが、人間が自分で自分をこうだと規定したり、世間のレッテルで人を判断したり、自意識に苦しめられたり、そういう愚かな営みを全部見透かして、直に人間の純粋な心情をつかみとるまれな能力を、氏が持っていることを物語っていた。

そのためには、飛行機や空飛ぶ円盤も無駄ではなく、これら飛行物体が、氏の、人間に対する澄んだ鳥瞰的な見方を養ったのであろう。北村さん、私はあなたが、円盤に乗って別の宇宙へ行かれたことを信じている。 作家 三島由紀夫

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button