こうした三島が書いた円盤小説「美しい星」について、荒井さんは、「作品中に宇宙人一家が当時のフルシチョフ・ソビエト第一書記に核廃絶の手紙を送るくだりがあるが、それは当会が実際に行った事を下敷きにしているのではないかと思う。また宇宙船を「宇宙機」と書いてあるが、これは私の造語で機関誌のタイトルからの引用でしょう」と指摘する。
三島と親交のあった文芸批評家、奥野健男さんは、「三島の円盤好きは仲間内では有名です。会えば、円盤やお化け、冒険談ばかりしていた。むしろ文学や思想の話なんてしませんでしたよ」と笑う。さらにこう続ける。「三島は円盤の実在を信じてましたね。三島や僕らの世代は子供のころから、空想小説や冒険記、怪奇物に接してたから、(円盤好きも)そうしたことの影響かもしれない。また「美しい星」のラストシーンは、主人公が円盤で飛び去ることを暗示しているが、三島には「空飛ぶ円盤で別世界とつながる」という考えはなったかもしれないですね」
さて、三島は結局円盤と遭遇できたのだろうか。奥野さんは、「会えなかったときいてる」と振り返る。また、三島自ら「美しい星」を紹介している一文に、「自宅の屋上で、夏の夜中、円盤観測を試みたことも一再にとどまらない。しかし、どんなに努力しても、円盤は現れない」と円盤発見の「断念宣言」をしているのだ。
三島ファンとしてはぜひ、UFOの観測に成功し、同氏の筆で書きとめてもらいたかったところだ。しかし、「目撃成功」ともとれる文章も残している。それは月刊誌「婦人倶楽部」(講談社)のエッセーで、三島が35、6歳の時に書かれたものという。
三島は夫人と共に自宅屋上で円盤探しをした話をまず紹介。「…妻が、『アラ、変なものが』と言った。見ると…薬のカプセルによく似た形で…西へ向かって動き出した…円盤にも葉巻型というのがあるのを知っていたから、それだなと思った」と目撃談を載せている。三島が円盤を見ることができたのかどうか、いまとなってはわからない。
しかし、三島は円盤観測仲間の作家・故北村小松氏の弔文(朝日新聞64年4月30日付け)に、「北村さん、私は今あなたが、円盤に乗って別の宇宙へ行かれたことを信じている」と記しているのだ。いわゆる空飛ぶ円盤が実在するかどうかは今もってはっきり分からない。それでも、天才・三島由紀夫が「UFO」の飛来を信じ、ロマンをかきたてていた事実は動かない。三島とUFO。興味は尽きることがない。(終わり)
参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史