3、4秒、肉眼で迫ったのち、私はあわてて双眼鏡を目にあてたが、焦点がうまく合わない。妻も写真機のファインダーをのぞいている。私が双眼鏡から目を離したとき、すでにその姿はなかった。妻はファインダーの中にキャッチしていたが、シャッターを切る自信がないままに、出現してから5、6秒で、西方の雲の中へ隠れたのである。
これを見て、われわれが鬼の首でも取った気になったのは言うまでもない。しかし周囲は意外に冷静で、父の如きは、夫婦が共謀してデッチ上げをやっているんだ、と頭から信じない。肝腎な目撃者の妻も、「あれ、きっと円盤よ。信じるわ、私も。でも一度見たから、又見なくてもいい」とケロリとしている。
日が経るにつれて、私の自信も何だか怪しくなってきた。それが果たして円盤だったかどうか、科学的に証明する方法はないし、北村小松氏も風邪で寝ておられて、目撃されなかった。
日ましに私は、自分で見たものが信じられなくなっていながら、人が「そりゃ目の錯覚だろう」などと言うと、腹が立つのである。とにかくわれわれ夫婦が、へんなものを見たのはたしかである。それを誰にも信じさせることができないのは、妙に孤独な心境に私を追い込んだ。これも翻って考えると、嘘八百を並べて人をたぶらかしてきた小説家稼業の報いであろう。しかしもしあれが円盤だとしたら、乗っていた宇宙人は、今ごろ私のあやふやな心境を、嘲り笑っていることであろう。「ここに俺がいるのに、あいつは地球人のつまらん常識にとらわれている」という彼らの笑い声が耳に聞こえてくるような気がする。
哲学的見地から云うと、こうしてここにわれわれ人間が生存しているという事実も、宇宙人の存在以上に確実なものといえるかどうか、甚だあやしいのである。夏の星空がそのことを教えてくれているようだ。(終わり)
参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史