空飛ぶ円盤と人間通~北村小松氏のこと~(三島由紀夫氏)#2

世俗的に言えば、氏はあんまり早く超越してしまったと思われるふしがある。今、私の机上には、氏の長編小説「銀幕」や、1920年代の無声映画のシナリオ集や、トーキー初期のシナリオ集(「マダムと女房」を含む)が置いてある。そこには映画という、当時のもっとも新奇な神秘的な玩具に熱狂した氏が躍動している。しかし一等面白いのは、氏は小型映画用シナリオとして書いた掌編で、その「望遠鏡」という一編では、シリウスの伴星を見ようと志して、超強度望遠鏡を発明した男が、半裸の汗だくで、望遠写真をやっと写したところが、一点の黒点のある平面のみが写っており、あとで細君から、それはあなたの背中のほくろの写真じゃないかと言われ、男の溜息の字幕でおしまいになる。

「ああ、今度はあまり遠くが見えすぎたのだ?」

遠い恒星よりももっと遠い自分の背中が見えてしまう目を持った男、その男の不幸を、そのころから北村氏は知っていた。

飛行機も映画も、自動車も円盤も、すべて氏の玩具にすぎず、氏の本領は人間通だったのかもしれない。

それを証明するのは、婦人公論の5月号に出た、氏の「わが契約結婚の妻」という文章で、私はこれこそ真の人間通の文章だと感嘆し、早速その旨を氏へ書き送ったが、今にしてみると、それは氏の心やさしい遺書のような一文であった。

それは道説的な表現で、奥さんへの愛情と奥さんの温かい人柄を語った文章であるが、人間が自分で自分をこうだと規定したり、世間のレッテルで人を判断したり、自意識に苦しめられたり、そういう愚かな営みを全部見透かして、直に人間の純粋な心情をつかみとるまれな能力を、氏が持っていることを物語っていた。

そのためには、飛行機や空飛ぶ円盤も無駄ではなく、これら飛行物体が、氏の、人間に対する澄んだ鳥瞰的な見方を養ったのであろう。北村さん、私はあなたが、円盤に乗って別の宇宙へ行かれたことを信じている。 作家 三島由紀夫

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button