地球に教訓する奇怪な宇宙人(宇宙人のカシミヤの服)#12

私たちはバイブルを持った兵隊が、強力な火焔放射器や艦砲射撃の擁護のもとに「敵前上陸」をしてきた惨憺たる事実を知っている。また、八百万の神の名の下に若い学徒兵が神風特攻隊となって愛機もろとも敵に突っ込んでも、ついに神風は吹かなかったどころか、私自身、特攻隊基地にいてもピカドンという怖がるすべき兵器を知り、つづいて突如としてソ連の宣戦を喰って、宗教の説得力や条約というものが、この地上ではいかに無力なものか、極めて複雑な感慨で身にしみた。しかしそれかといって私は宇宙人の垂訓にすがろうとは思えない。

先にのべたジュサップの「UFOとバイブル」はある意味でバイブルをUFOおよび宇宙人に結びつけることによって新しい説得力を加えようとしたのかもわからないが、彼がマタイ伝24章29節以降を新解釈したことが逆にスタンフォードやバーパー説と混乱し、日本にも暗い影響を与えるようになろうとは思ってもいなかっただろう。彼はマタイ伝24章の「人の子」というところを「神の子」でない(即ち人間か宇宙人だ)と重視し、能力と日本訳されている「グレートパワー」も物理学的な巨大な力と解し、栄光というところもUFOが現れる時無数にみられるという一種の輝きであると解釈している。さらに円盤による救いのところなど、宇宙人信者がお賽銭を上げたくなるのもムリはない。

それにしても、この書物を書いたジュサップが、一昨年謎の自殺をしてしまったことは注目に価する。ここに私は、逆に人類というものはしょせん地上のことは自分たちの手で処理しなければならぬ、という宿命のきびしさの方を思うのである。

「何を信ずべきか、そして何を信ぜざるべきか、そこが問題だ」とハムレットもどきの言葉でこの稿を結んでおこう。(終わり)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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地球に教訓する奇怪な宇宙人(宇宙人のカシミヤの服)#11

s-宇宙人02およそ、ベラボーなトルーマン・ペスラムの「円盤搭乗記」はもとより接見派の書物でクラスペドンのようにどこかにフィクションを匂わせたものは一つもない。アリンガムのようにご丁寧に表紙に大きく「事実」という文字を入れているくらいなのだが。しかしクラスペドンの理屈は、太陽は冷たい天体だというウィリアムスンも、どの宇宙人も畑中武夫先生が指摘された太陽の磁場の逆転現象や太陽のフレアによって広い空間が強い放射能を帯びることや、ヴァンアレン高放射能帯のことは一つも説明していない。

宇宙人と接見したと主張する人たちの99%は彼らは人間より遥かに高度の文明人であるといい、大げさにいえば、まるでしもべのごとく垂訓を伺っている。ただ一人例外なのは、去年の4月29日突然宇宙人に会ったという岡山の安井清隆氏で、彼が会った宇宙人は「無宗教惑星」から来た、という点が変わっている。そしてしもべの如くでなく「俺、お前」の言葉を使って見たら、宇宙人の方も大変気安くなったと、安井氏はいう。

ただ、さわった服の手ざわりがカシミヤのようだったといっているが、クラスぺドンと会った宇宙人もカシミヤの服を着ていた、という点で、地球のこっちと向かう側が同じことを言っているのは果たして偶然だろうか?

「安井宇宙人」はスタンフォードの「ようこそ宇宙人」とは逆に「よく来てくれた」という安井氏を公園で迎えたそうで、仲良くなりたいといったという。その安井氏が、日本のあるグループから、地球壊滅の日に円盤に救ってもらおうとして途方もない巨額の献金を得ているし、安井夫人(夫人はそのグループの一員であった)があつかった分だけでも百万円は下らない。と沢山の書物を私に見せながら話してくれたが、その書類は地球最後の日に関する連絡文書で、金銭の受取り証がなかったから私には金のことは何ともいえない。

しかし1950年以降、こんなに様々な結構な宇宙人の垂訓はあっても、地球上の軍事的政治的社会的情勢に対して、宇宙人がプラスになる行動をとったという文献はこれまた一つもないのはどういうわけだろうか?(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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地球に教訓する奇怪な宇宙人(美男の金星人)#10

s-宇宙人021956年にはバック・ネルソンの「私の火星金星月への旅」というのが出ているが「金星人は神の12の法則によって生活しているので、軍隊だの、牢獄だの病院などはない」といっており、これまた結構な平和論になるのだがやはりタッセル以来、「接見派」に共通した観念論である。

例えばわれわれは、UFOが(それが宇宙から来るものならなおのこと)どういう推進力や機構をもっているかが、一番知りたい点だが、どの書でもその点は観念的で掴みどころがない。わが国で出ているロプサン・ランバのそのところを求めて見ても「引力を自動的に調査する極めて簡単な装置を見せて貰った。しかしこれを詳細に説明するためには余分の紙数がない」という。余分どころか、全部をその詳細な説明でうずめた方を、地球人のわれわれが読みたいのだ。

そこへゆくと、南米のディノ・クラスペドンは、数式や図解などを入れて「私の円盤との接見」という書物を1959年に出しているが、ここで注目しなければならないのは、そのことの始まりが1952年(つまりアダムスキー以前)があったということが一つ。もう一つは序文のなかで彼の友人が「西欧文学の新様式である宇宙のフィクションのつもりでソ連の友代へその本を送ったところ、ソ連科学アカデミーでは検討すべき何事かを掴んだようだ」としてソ連のチュグノフの受取りの手紙を挿入していることである。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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地球に教訓する奇怪な宇宙人(美男の金星人)#9

s-宇宙人02アダムスキーはその第一人者で、地球の女性が見たら羨望を感じるほどの美男におわす金星人に会ったと主張している。なぜ金星人とわかったかというと、地面に太陽系の諸惑星の軌道を描いたら金星の軌道を指したらだという。アリンガムも同じ方法で自分が接見したのは火星人だ、と主張しているのである。そして、その火星人は「人間はまた戦争をするのか」などとたずねたというし、アダムスキーの方は、金星人は地球の放射能を調べにきたのだと、核実験反対に通じるモラルを精神感応で聞き、どう見ても何とも奇怪な、子供のいたずら書きのようなメッセージを買ったと写真版でのせている。

さて第二著でそのメッセージが何であったかは全然忘れてしまったように一つとして説明しない。それでいて、それをくれた筈の、英語で話せるようになった金星人と再会したばかりが、宇宙船の母船にいき土星人や「グレート・マスター」に会って様々な結構なお話を聞き、またソ連が月の裏側の写真を人工衛星で撮らぬ前に、その裏側の都市や四つ足の動物を見たなどと主張する。それでいて火星人とアリンガムという問題にはテンで見向きもしていないのだ。

宇宙連合という壮大なスケールの垂訓を受けながら、自分だけの主張を通そうとするのが悲しい人間の根性というものだろうか?(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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地球に教訓する奇怪な宇宙人(月からきた小人)#8

s-宇宙人02地軸が急に132度傾くという説を吐いたパーバー博士も、実は米国の科学者名簿にない人で弁護士だとわかったことも私の場合と似ていて、UFOの関係文書は相当用心をして読まなければならぬ教訓ともなった。

しかしスカリーの小人はある意味では偶然ではないかも知れない。なぜなればスエーデンの有名な科学者で1700年代に潜水艇や機関銃や、航空機の設計図を書いたスエーデンボルグがどうした転機か、霊能者的になりストックホルムの大火を300哩はなれたところから如実に透視したり、天国や地獄を見たりして、1766年、カントに「視霊者の夢」という一文を書かせた。カントは「視霊者のいうことは形面上学者が現象以上のものを主張するのと同じで、色々の思想世界の幻影建築家である」といっている。

そのスエーデンボルグが「月から来た小人」を書いているのだから欧米人にはそれが色々な暗示となっていたにちがいない。月が宇宙人の基地として描かれたのは、アダムスキーがスエーデンボルグのことを知っていたからかも知れないし、わが国のある宗教雑誌にも月の基地のスケッチで、宇宙人の使う万年筆のスケッチまでのせているのがあるくらいだが、しかし、スエーデンボルグ自身は、まだUFOを道具にしてはいなかった。

むしろスエーデンボルグを円盤に結びつけようとしたのは、「UFOとバイブル」という書物を書いた。ミシガン大学およびパレーク大学の先生であったというジャサップの方である。このジャサックのことは後述するとして、もう少し宇宙人をさぐって見よう。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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地球に教訓する奇怪な宇宙人(月からきた小人)#7

しかし何といっても宇宙人との接見という大きな下地を作った大物は、先にもいったアダムスキーであるが、同時に英国で、「火星人との会見記」を書いたセドリック・アリンガムに、別の書物を1955年に出版させているワヴェニイ・ギルヴァンのねらいが、世界情勢の虚をつく企画であったと私は推測する。そしてその当のギルヴァンも「空飛ぶ円盤と常識」という書物を同じ年に出ているが、その書物の最後に、米空軍のUFO調査官であったルペルトが退役してから出した315頁、17章にわたる「報告書」(55年)の結論にUFOの実体について、「時のみがそれを告げるであろう」と書いているのとは別に、「私は全くの懐疑派の人たちが経験からか、議論の結果が、その懐疑をひるがえしたことは知っているが、しかし信じている人がただの一人もその逆に信条を変えたということは一つも耳にしない。この事実こそが無意義ではありえない」といっている。しかし彼が出版させたアダムスキー・アリンガム一派の人たち真実書いた通りであるのか、或いは極めて執念深い人であるか、どっちかだという疑問が私には残っている。

しかしそれ以前、1950年にフランク・スカリーが「円盤の背後に」という文章の中で円盤の搭乗員を「小人」と書いたのが、UFOに関して、「姿」をもつ宇宙人が現れた最初ではないかと思うのだが、この小人と、それを証明したギー博士の説は、架空のものであることが判明している。それにしてもUFOに関連すると戯説がいつの間にか真説らしくどこかへ浸透していく場合があることを私は自分で知って驚いている。だが数年前「カッパは湖中に故障で降りた円盤乗務員の宇宙人である」というこじつけの戯説を「毎日クラブ」に書いた。ところが、これが私が知らぬうちに西独の「UFO ナハリ ヒテン」をはじめ、スイス、デンマークの雑誌に真説らしくのり、しかも私が、いつも間にか博士や教授になっていることを知ったので、デンマークには私自身、スイスには友人を通して「あれは戯説である」という釈明をしなければならなかった。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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地球に教訓する奇怪な宇宙人(宇宙人との応答)#6

s-宇宙人02しかし彼の著書は宇宙人からの「愛と平和」のメッセージ集であって、これは地上の人間が考え得た。またこれからも考え得られる以上のモラルではない。おまけに彼は「私が乗っていたのではなく、円盤を操作する知能が、私が乗っていたと主張するのです」と書いているのは、太陽系外までUFOでいって来たという一日本青年が、私に「肉体を地上へ置いたまま行って来た」と語ったのと酷似している。

同じく宇宙人からのメッセージ集はウィリアムスン、ペイレイ共著の「円盤は語る」という127頁の本があるが、これは久保田八郎が重点的に訳して「オール読物」に載せられたことがあるからお読みの方もあろう。

ただ私にがてんがゆかないことは、タッセルの書に宇宙船のことをVENTLASと書いてあるのにウィリアムスンの用語解説には出ていない。また、宇宙人はこの地球をCHANと呼ぶとウィリアムスンが書いているのに、タッセルの方はSHANになっている。

日本でも、あるグループが念力をこめてUFOを呼ぶとき「ベントラ、ベントラ」というがあれはどこの言葉だろうと人に尋ねられたことがあるが、たぶんそれはこのヴェントラスの変形であって、ナミアミダブツと、ナンマイダのようにSをぬかしたんだろうと私は答えたことがある。地球上の航空機はナムバーが一つちがっても大変なことになるが、ベントラと呼んだだけで、宇宙人から応答があったというのだから宇宙人は厳正なのかルーズなのか私などには見当がつかない。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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地球に教訓する奇怪な宇宙人(宇宙人との応答)#5

ダニエル・フライというロケット技師が遠隔操縦のUFOに乗ったのは、1950年だと彼の「ホワイト・サイズの出来事」54年版という66頁の小冊子に書いてあるが、この人は科学知識があるので、接触とか研磨度とか加速などという難しい問題でもかなりきわどいトリッキーな書き方をしている。

その上、一番問題は、近代物理学への懐疑というか抵抗というか、そういうものが書中に出てくることだ。たとえば、宇宙人は、そのUFOの飛行原理を理解するには我々の基礎物理学の知識を根本から変える必要があると告げている。そして「アインシュタインが物質もエネルギーも定量的に等しいという数式を発表したことは正しいが、物質がエネルギーに依頼しえるしその逆もまた成り立つという誤った結論に達した」等々のことを書いている。

こういう点では接見派の書物には多かれ少なかれ共通したした点が見られる。しかしフライの場合は、姿として宇宙人は現れておらず、宇宙人の「お告げ」も耳で聞いたのか、頭の中に直接はいったのかという点も一考に価する。それは自己催眠や、潜在意識の発露に通じるきわどいものがあるからだ。

ところが、これに対して1952年「自分こそUFOに乗った最初の人間だと信ずる」という51頁の小冊子を書いているのは、ヴァン・タッセルである。彼はもと航空機関係の技師であった。これは、フライがロケット技師であったこと、さらに後述する有名な大先輩スエーデンボルグが科学者であったことや日本の安井清隆氏が共産主義を通ったこととともに、われわれに、宇宙人よりも人間というもの不思議さを考えさせるに十分であろう。

いずれにしろタッセルは、ジャイアント・ロックという所にもっている小飛行場に「星際飛行場・円盤・航空機歓迎」という立て札を立てている。そこに軽飛行機や自動車でUFO信者たちが沢山集まっている様子が写真に出ている。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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地球に教訓する奇怪な宇宙人(奇怪な飛行物体)#4

s-宇宙人このUFOが地球上のどこかの国の秘密兵器なのか、または外宇宙からの宇宙船なのかに関して欧米の大国は国家機関でその調査をはじめたし、私が入学した文献だけでも30冊は超える。

しかし、その3分の1は宇宙人の垂訓めいた話である。私は今日まで日本の天文学者とも連絡しながら、13年間空に気をつけてきたが、私にもその天文学者にも今日まで一個のUFOも見えないし、UFOが外宇宙からくる宇宙船だという決定的な資料はまだ一つも手にはいらない。どこにもないようである。

こういうところが、UFOに関連して宇宙人が出現する絶好の舞台であり、足場でもあると私は考えている。

それにしても5500年からUFOの記録があるのに、宇宙人が現れて人間に垂訓を与えはじめたのは、1950年以降だというのは、数年前から人工衛星が飛びはじめたということと何かの関係があるのだろうか。もし1950年以前にもUFOと関連して宇宙人の垂訓があったらご教示を賜りたい。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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地球に教訓する奇怪な宇宙人(奇怪な飛行物体)#3

近代UFOがマスコミに乗った最初は1948年であって、米国のケネス・アーノルドが自家用の航空機でレニアー山付近を飛んでいるとき、コーヒーの受け皿のような奇怪な9個の飛行物体の編隊を見、続いてユナイテッド・エアラインズの旅客機も同じようなものを見たことがボイゼ市の新聞に大きくあつかわれ、また米国一流雑誌が取り上げて書いたせいもある。

だが、古代UFO記録となると、「5500年昔のエジプトの記録までさかのぼらなければならない」とH・T・ウィルキンスは、その象形文字を彼の著書のなかで示している。色々な文献で見てもUFOは1947年に急に地球周辺に現れたものではない模様である。

しかし、アーノルドの目撃につづいて翌48年1月には早くも米国のゴットマン基地上空でマンテル大尉が、一個のUFOをムスタング戦闘機で追跡し、「目標は金属製のものの如し、トレメンタスサイズ(巨大)である」と報告して亜成層圏の高空から、謎の墜死をとげたことでさらに世人の注目をひいた。この事件の簡単なニュースは当時の在日米軍放送・WVTRが放送したから、私だけでなくじかに聞いていられる方がいるに違いない。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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