近代UFOがマスコミに乗った最初は1948年であって、米国のケネス・アーノルドが自家用の航空機でレニアー山付近を飛んでいるとき、コーヒーの受け皿のような奇怪な9個の飛行物体の編隊を見、続いてユナイテッド・エアラインズの旅客機も同じようなものを見たことがボイゼ市の新聞に大きくあつかわれ、また米国一流雑誌が取り上げて書いたせいもある。
だが、古代UFO記録となると、「5500年昔のエジプトの記録までさかのぼらなければならない」とH・T・ウィルキンスは、その象形文字を彼の著書のなかで示している。色々な文献で見てもUFOは1947年に急に地球周辺に現れたものではない模様である。
しかし、アーノルドの目撃につづいて翌48年1月には早くも米国のゴットマン基地上空でマンテル大尉が、一個のUFOをムスタング戦闘機で追跡し、「目標は金属製のものの如し、トレメンタスサイズ(巨大)である」と報告して亜成層圏の高空から、謎の墜死をとげたことでさらに世人の注目をひいた。この事件の簡単なニュースは当時の在日米軍放送・WVTRが放送したから、私だけでなくじかに聞いていられる方がいるに違いない。(つづく)
参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事