地球に教訓する奇怪な宇宙人(月からきた小人)#7

しかし何といっても宇宙人との接見という大きな下地を作った大物は、先にもいったアダムスキーであるが、同時に英国で、「火星人との会見記」を書いたセドリック・アリンガムに、別の書物を1955年に出版させているワヴェニイ・ギルヴァンのねらいが、世界情勢の虚をつく企画であったと私は推測する。そしてその当のギルヴァンも「空飛ぶ円盤と常識」という書物を同じ年に出ているが、その書物の最後に、米空軍のUFO調査官であったルペルトが退役してから出した315頁、17章にわたる「報告書」(55年)の結論にUFOの実体について、「時のみがそれを告げるであろう」と書いているのとは別に、「私は全くの懐疑派の人たちが経験からか、議論の結果が、その懐疑をひるがえしたことは知っているが、しかし信じている人がただの一人もその逆に信条を変えたということは一つも耳にしない。この事実こそが無意義ではありえない」といっている。しかし彼が出版させたアダムスキー・アリンガム一派の人たち真実書いた通りであるのか、或いは極めて執念深い人であるか、どっちかだという疑問が私には残っている。

しかしそれ以前、1950年にフランク・スカリーが「円盤の背後に」という文章の中で円盤の搭乗員を「小人」と書いたのが、UFOに関して、「姿」をもつ宇宙人が現れた最初ではないかと思うのだが、この小人と、それを証明したギー博士の説は、架空のものであることが判明している。それにしてもUFOに関連すると戯説がいつの間にか真説らしくどこかへ浸透していく場合があることを私は自分で知って驚いている。だが数年前「カッパは湖中に故障で降りた円盤乗務員の宇宙人である」というこじつけの戯説を「毎日クラブ」に書いた。ところが、これが私が知らぬうちに西独の「UFO ナハリ ヒテン」をはじめ、スイス、デンマークの雑誌に真説らしくのり、しかも私が、いつも間にか博士や教授になっていることを知ったので、デンマークには私自身、スイスには友人を通して「あれは戯説である」という釈明をしなければならなかった。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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