ホプキンスビル事件

s-ホプキンスビル2未亡人グレーニー・ランクフォードとその息子のエルマー・ラッキー・サットンがアメリカケンタッキー州ホプキンスビルの農場を借りていたことから、友人やその子供たちがその農場を訪れました。

その中の一人、ビリーテイラーは、1955年8月21日午後7時ごろ、家の外の井戸に水汲みに出かけたとき、さまざまな色の光を虹のように発光したUFOを目撃しました。ビリーは、農場に戻ってその話をしましたが、流れ星だろうと、誰も取り合ってくれませんでした。

それから1時間後、犬のけたたましく吠え、ビリーとサットンが銃を携えて外の様子をうかがうと、宇宙人が農場に接近していました。

宇宙人は身長1メートル、大きな頭で髪は1本もなく、黄色い目で人間よりもずっと大きく、耳は巨大で、象のような耳でした。

6メートルほど接近したとき、ビリーとサットンは宇宙人を銃撃しましたが、宇宙人はピョンと跳ねてとんぼ返りし、普通は2本足で歩行しますが、銃撃されると4本足になってものすごいスピードで逃げ去りました。そのときの時間は、午後11時ごろでした。

参考文献 グリーンアロー出版社 宇宙人大図鑑

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星さんと「空飛ぶ円盤研究会」

010701sonota382-trans星新一氏との関係を荒井欣一さんが書いています。

「UFO同窓会」と聞きなれない大変珍しい会が、今回の「UFOフェスティバル76」の一環として9月23日、霞が関ビル35階の天星苑で催された。集まったのはUFO愛好会約50名、その中には元「日本空飛ぶ円盤研究会」の会員を中心に若い研究者達や、飛び入りの参加者もあり、元会員達の久しぶりでの再会などもあって、和気あいあいのうちに会は進行した。

司会役の私は、まず若手のUFO研究者数名を紹介し終わって、今回の同窓会に多忙を割いて参加してくださった星さんにも何かひとこととお話しをお願いした。星さんは快く引き受けられて一段高くなった檀上から、いつものようなあの柔和な顔と独特の語り口で話しだされた。(中略)

星さんは円盤研究会に入会されてから、柴野拓美氏が創設した「科学創作クラブ」のメンバーになられ、「セキストラ」が大下宇陀児氏に認められて、一躍文壇に乗り出された訳だが、設立された頃の科学創作クラブの主要メンバーの多くの人が円盤研究会の会員だったこともあり、円盤研究会が母体になったという考え方をされる方もいる。

こんなこともあり、星さんの冒頭の挨拶が、「私が今日あるのは荒井さんのおかげです。」という言葉になったのかもしれないが、星氏の現在は御自身の努力と才能の結実したものである。今後、氏の作品の中に「空飛ぶ円盤」が度々登場することを切に願うものである。

参考文献 UFOライブラリー取扱記事(発行日等は不明です。)

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機関誌「宇宙機」第2号の発行にあたって

010701sonota380-trans日本空飛ぶ円盤研究会のアドバイザー北村小松氏は、早速、機関誌第2号に原稿を寄せられた。その内容は今後の機関誌の編集方針と合致するものだった。

「空飛ぶ円盤研究会に寄せて」という一文の一部を紹介しよう。

「天動説を捨てなければ地動説は成立しなかった。ところが、近代宇宙物理学は、我々に捨てきれない色々なものを根強く植え付けている。ここのところが円盤研究に一番難しい関所だと思う。我々はいたずらな興味にだけ惑わされない冷静な心が必要である。

しかし、受け入れるべきものは受入れる寛大な心も必要である。そういう意味で、「円盤研究会」は、オーソドックスな学者達が手をつけたがないものの色々なデータを積上げて、将来への基盤をしっかり築いて頂きたい。」と激励の言葉を述べられている。

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会設立 JFSA活動秘話 日本空飛ぶ円盤史(2)

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第1回空飛ぶ円盤研究座談会

s-hand_monkey_drinking第1回「空飛ぶ円盤研究座談会」は、11月4日、五反田の水野食堂2階におけて、約30人の会員が参集、責任者荒井氏司会のもとに開かれ、活発は意見の交換が行われた。

当日は特に円盤については古くから研究され、しばしば発表され円盤研究の第一人者である北村小松氏の来会を得て、貴重な諸外国の文献なども見せていただき、非常に得るところがあった。

またその上で、日本初の宇宙映画「宇宙人東京に現る」をプロデュースした中代富士男氏も五反田大映の支配人と共に御来会下さり、技術上あるいはストーリーの内幕ばなしを興味深く話していただき、特に企画中の第2回目宇宙映画の構想に一同聞きほれ、同時に宇宙機への関心を高めて成功裡に第1回の会合を終えた。

参考文献 空飛ぶ円盤研究会機関誌 宇宙機創刊号(1956年7月1日付け)

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大統領のメッセージ

010701sonota378-trans1985年ジュネーブで開かれた米・レーガン大統領とソ連・ゴルバチョフ書記長の首脳会談は、SDI(宇宙防衛戦略構想)いわゆる「スターウォーズ構想」について5年にわたって秘密会談が行われました。

そして、1985年12月4日、メリーランド州フォールトンで、レーガン大統領は、「もし宇宙人の種族がこの地球にやってきて、我々に脅威を及ぼすような事態が起こったら、我々は一致協力してこれに当たらなければならない。」と演説しました。

1987年9月21日第42回国連総会でも、レーガン大統領は、「地球外から来た宇宙人による脅威に直面したら、世界中の国々でのいろいろな行き違いは直ちに消滅してしまうだろう。」と同じ趣旨の演説をしました。

また、ゴルバチョフ書記長も、1987年2月16日、クレムリンのソ連共産党中央委員会で全く同じ演説をしました。「ジュネーブでのレーガン大統領との首脳会談で、レーガン大統領は、もし宇宙人による侵略があったら、米国とソ連はお互いの戦力を結集してこの侵略に立ち向かわなければならないと言っている。私は時期尚早だと思うが、今から心の準備をしておくことが大切だと思う。」と語りました。

この当時何があったのでしょうか。気になります。

参考文献 学研 ムー11月NO384

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CBA(宇宙友好協会)元幹部来館

010701sonota373-trans3月のはじめ、或る人の紹介でCBAの元幹部AK氏が会社の人と見えられた。話を聞いてみると、北海道平取町に建設されたかの有名な、高さ8メートルもあるオペリスクの設計を担当した方で、現在は五反田に(株)ライフデザインの社長をしておられた。1964年の「CBA特報」によれば、ハヨビラ建設隊員の本部員に名を連ねている人だった。

松村氏の消息を尋ねたが、答えはなかった。ただもう「松村氏の任務は終わった。」の一言のみであった。

参考文献 UFOライブラリー来訪者等交遊録(1)(発行日等は不明です。)

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CBA(宇宙友好協会)事件の松村氏と初接触

010701sonota371-trans日本空飛ぶ円盤研究会とCBAの関係はどのようなものだったのでしょうか。

松村雄亮氏とCBA問題が起こったのは、まだまだ先の事だが、我々が初期の活動を開始した頃、読売新聞の京浜版9月9日付で松村氏の事が紹介されていた。氏は火星大接近の翌日夜、円盤の国際観測が世界各地で行われ、これに初参加した日本人グループとして紹介されていた。氏は当時横浜市磯子に住んでおり、26才20名のグループを組織していた。との記事。

私は早速連絡をとり、同じUFO研究家仲間だったら手を携えて行こうと思ったところ、柴野氏が一応手紙を出してみるとの事だったので、私の旨を伝えてもらった。ところが当方の意に反して彼からの返事はなかなか強烈な返事だったので、最初からシコリを残してしまった。

彼からの返事には、読売の記事はミスプリントで、0を一つなくされたもので、我々は200名の会員を擁しており、出来たばかりの研究会とは提携できないというものだった。これは一種の強がりだと感じた。柴野氏は直に反論の手紙を送ったが、それに対しては何の反論もなかった。(後略)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会活動秘話(3)(発行日等は不明です。)

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フランスにも着陸している(洋画家 三岸節子さん)

010301nori019-trans「洋画家 三岸節子さんの場合」

1954年の秋ごろから春にかけて、南仏アンチープの海岸に降りた機体が発光体みたいなもので、降りてもすぐ垂直に上り、自由自在でそれがすごいスピードで、乗員は長靴をはき、背が低く、1メートルちょっとくらいで3人位いたそうで、子供がそばによったら、言葉ではないけれど、そばによっちゃ危ないと言い、修繕するために降り立ったらしい。

フランスでは厚い空飛ぶ円盤の本が出ていて、写真が沢山出ており、フランスの新聞では水爆や原爆を地球の人間が発見して、これは大変危険だから、それを止めさせようと警告に火星人が来ているのだろうと書いてあった。

フランスの北方にも円盤から降りて中から人間らしきものが出てきて線路を上を歩いているのを目撃した人が書いた話が大きく出ていた。(抄)

小説公園 1930年12月号より

参考文献 空飛ぶ円盤研究会機関誌宇宙機創刊号(1956年7月1日付け)

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緑色した8本指の小人ヒューマノイド

s-ヒューマノイド2SF作家で画家として有名なヨハニスは、地質学が趣味で、余暇はほどんどその調査研究にあてていました。1947年8月14日、イタリアとユーゴスラビアの国境近くの山の中をハイキングしていたとき、50メートル前方に鮮やかな赤い色をした大きな凸レンズ型のUFOが着陸しました。

UFOの高さは6メートルくらいで、木立ちに隠れていたところ、2人の少年を見つけて、UFOを指さして大声で叫びながら彼らに近づいていきました。だが、彼らは少年ではなく、宇宙人でした。いわゆる「ヨハニス事件」です。

ヨハニスはピッケルを持って、宇宙人に「お前らは誰だ。」と怒鳴ると、宇宙人は威嚇されたと思い、ベルトから蒸気のような光線を放出され、ヨハニスは電気ショックを受けたように昏倒し、ピッケルは彼の手からすっ飛びました。

数分後、UFOは垂直に上昇して、やや機体を傾けながら小さくなっていきました。そのときの時間は、午前9時14分でした。

参考文献 グリーンアロー出版社 宇宙人大図鑑

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UFOの月刊世論調査

010301nori008-trans昭和63年2月1日発行総理府世論調査室の調べです。

「宇宙には地球と同じように生物がいる星がいくつも存在する。」ことについての意見を聞いたところ、「全くそのとおりだと思う」者が9.9%、「そう思う」者が39.5%、「そう思わない」者が17.6%、「決してそうは思わない」者が4.3%であり、わからないと答えた者が28.7%と多かった。

アメリカでは同意する者の割合が日本より高く、約3分の2の者が同意している。

「UFOは実在する。」ことについて意見を聞いたところ、「全くそのとおりだと思う」者が6.0%、「そう思う」者が28.2%、「そうは思わない」者が27.1%、「決してそうは思わない」者が7.4%で、同意する者(34.2%)と同意しない者(34.5%)がほぼ同じ割合となっている。また、わからないと答えた者も31.2%と多かった。

アメリカでも同意する者と同意しない者の割合はほぼ同じになっているが、フランスでは信じない者の方が多い。

当時のUFOの世論調査はどのように利用されたのでしょうか。

参考文献 月刊世論調査 昭和63年2月1日発行

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