(荒井)また、昭和33年には、悪名高い警職法が国会に上程されました。あの法律によってUFOの研究まで規制される可能性があった。何かふしぎなことを研究して、世の中を不安に落し入れるものだ、というような誹謗もありましたしね。われわれはそれに対して、UFOの研究こそ人類の将来を決定づけるもっとも重要な問題だ、それを一片の法律によって葬り去られてはかなわないと思って反対声明を出しました。これは朝、毎、読の新聞にも報道されましたよ。もちろん多くの人が反対したので、わたしたちの声明がどれほどの効果があったかわかりませんが、ともかくあんな法案は廃案になってしまったわけです。
今のUFO研究団体というのは確かに科学的な研究は地道にやっているかもしれないけれど、こういう社会に問いかけるという姿勢が欠如しているように思います。
(T氏)それだけ先駆的に、熱心に活動されてきたのに、休会を余儀なくされたときは残念でしたでしょう。
(荒井)ええ、一時は千人近くいた会員がだんだん減りましてね、財政は大赤字になるし、体力的にも精神的にも疲れましてね、いったん集めた会費をお返しして休会にしたんです。
(T氏)やはり宇宙友好協会(CBA)問題が影を落とした。ということはありますか?
(荒井)CBAもそれなりに立派なところもあって、我々が持ってないような海外の資料も機関誌に掲載してました。それはよかったのですが、コンタクト・ストーリーを無批判に受け入れ地軸が傾くか宇宙連合が助けに来てくれるという騒動を経て、どんどんおかしな方向へ行ってしまいましてねえ、赤外線宇宙交信機なるものの発明者であるG・H・ウィリアムスンという妙なアメリカ人を彼らが招聘したときには、公開質問状をぶつけてみいたのですが、まったくナシのツブテ、これはこのままいくとUFO研究の危惧だというので、「UFOの研究の本道」という声明文を発表して、我々の立場を明確にしたのです。
まあしかし、こちらがある意味で固苦しいのに対して、あちらは面白いといえば面白いですからねえ、それにもう宗教的な熱狂性を帯びてましたから、こちらの会員でCBAに乗り換えた人もいるでしょうし、あるいは私たちが危惧したように、CBAの狂態を見て、しょせんUFOなんてというので脱落してしまった人もいたのかもしれません。
まあ、私も病気になるし、金もなくなちゃったし、休会といっても、ホントのこというと、円盤はもうこれで終わりにしようとまで思いました。CBA問題以外にも、安井清隆さんのコンタクトも問題なんかもあって、どうもみんなハッキリしないことばかりではないか、という絶望感にもとらわれましたからね。(つづく)
参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史