荒井欣一氏にインタビュー「一時は円盤はこれっきりにしようかと…」#6

s-荒井欣一(T氏)マスコミはとかくそういうことが多いようですね。それからさきほども話題に出た「宇宙平和宣言」ですか、あれを始めとして、よく声明書のようなものを出されてますね。

(荒井)ええ、最初に申し上げましたように、科学的な追求ということはもちろんいちばんの基本であり、たいへん大事なことですが、やはりそれだけではダメだと私は思います。UFOの存在そのものが、人類の将来にとって、たいへん重大な意味をもっている、そういう観点にたつならば、当然、社会に問いかけるという姿勢が必要でしょうし、一般大衆にもアピールするUFO研究でなければならない。それで機会あるごとに、自分たちの見解を声明書という形で発表したわけです。

(T氏)「宇宙平和宣言」には、JFSA以外の団体も署名しておられますね。

(荒井)ええ、ちょうど昭和32年7月にJFSA発足2周年記念の講演会を行いまして、高梨さんはじめ、他の研究グループの方にも来ていただきましてね、ちょうどいい機会だということで私が音頭をとりまして、研究会相互の協力を目的とする全日本空飛ぶ円盤研究連合を発足させたわけです。それで、あの「宇宙平和宣言」は私が起草したものですが、JFSAだけではなく、他の皆さんにも呼びかけ共同声明の形にしたのです。

毎日新聞に東京天文台長の宮地政司さんが、「円盤は飛ばず」という一文を発表されたことがありましたが、これがメンゼル説のまったくの受け売りでしてね、我々は、メンゼル説だけではUFO問題は解決しませんよということで、会員のみなさんの発言を含めて、「それでも円盤は飛ぶ」という声明文を発表しました。

また、昭和32年、ソ連が原爆を積んだロケットを月に命中させるという噂が外電で広く報道されましたが、このときには「月ロケット発射に関する要望」という声明書をソ連大使に手渡しまして、月にUFO基地がある可能性を訴えました。で、この我々の声がフルシチョフに届いたためかどうかわかりませんが、あれほど騒がれたソ連の月ロケット計画は中止になったのです。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

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