荒井欣一氏にインタビュー「画期的だったUFO25周年記念講演会」#8

s-荒井欣一(T氏)そして、再び活動を再開されたのはいつ頃ですか?

(荒井)そう、昭和35年に休会してから5年ほどはこれといって何もしなかった。それが昭和40年ごろかな、銀座通りを歩いていると、一緒に会をきりもりして頑張って下さった柴野拓美さんにバッタリ出会ったんですよ。「どうしてるんだ」と言うから、「いやあ、もうUFOは止めようかと思ってるんだ」というと、柴野さんは、そんなこと言うなよ、というんだ。今イエナに行ったら面白いUFOの本を見つめたからぜひ読みたまえというわけだ。それは「オフィシャルUFO」の特集版でした。なるほど買って読んでみると、この5年の間にずいぶんいろんな事件も起こっていて、たいへん面白かった。こちらは海外とも交流を断ってましたから、知らないニュースもずいぶんある。それで、こういうものをベースにして、まだ研究を続けている人や、これから始める人たちにも協力しようかと思いなおしましてね、再びいろんな資料や本を漁り始めたわけです。

すると、たまたま神戸の平田留三さんが高梨さんと分かれて日本UFO研究会というのを設立されまして、彼が機関誌に何か書いてくれと言ってきたんですよ。それでまあ、私は高梨さんに対して遠慮もあったんで、最初はペン・ネームで書き始めたんです。今ではお二人も仲良くつきあっておられますが、平田さんは近代宇宙旅行研究会の理事の一人で調査部長をしておられたのが、高梨さんの運営が独善的だというので、いわばケンカ別れして独自に一派を構えられたといういきさつがありましてね。私はどちらの肩をもつというわけではないんで、ペン・ネームで書き始めたわけですが、そのうちにお二人はそれぞれの機関誌上で相手の攻撃を始めたんで、これはイカンと思って、私が間に入りましてね、それで、どうせ私が書いてるってわかってきましたので、ペン・ネームをやめて、荒井欣一の名で「UFO事件の問題点を探る」というのを10回ばかり連載したわけです。それで、これがキッカケとなって、会は休会のままですが、個人として再び活動するようになったのです。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button