朝日朝刊「素描」

010701sonota388-trans空飛ぶ円盤研究会を立ち上げ、その後、マスコミ等に取り上げられ、会員が増えたとされる新聞記事の一つです。

世界七不思議の一つ、「空飛ぶ円盤は、幻覚ですよ。」とあっさり東京天文台長萩原雄祐博士から否定されたが、一般人の間ではなかなか人気があるようだ。

円盤に乗って地球へやってくる「遊星人M」のKRテレビ宇宙物語は、子どもにもおとなにも好評だった。続編として企画の「惑星への招待」は都合で中止となったが、日本テレビは「火星を買った男」をはじめている。このプロのスポンサーは東京渋谷の文化会館でプラネタリウムを公開する東急である。映画では日活が「フランキーの宇宙人」を27日封切る。円盤の出てくる喜劇である。

本では高文社から出たG・アダムスキの「空飛ぶ円盤同乗記」がよく売れている。

さて、まじめな研究団体として、昨年7月に発会した「日本空飛ぶ円盤研究会」は、どんどん会員がふえ、大阪にも支部ができた。伝えきいたアメリカのNICAP(空中現象調査会全国委員会・元米海軍誘導弾計画部長D・ファーニー少将が会長)から日米協力の申入れがあったので、17日午後1時から、国電五反田駅前「松楽」で第4回総会をひらいて協議する。

参考文献 朝日朝刊(昭和32年3月11日付け)スクラップ

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私は円盤をみた(森田たまさん)

010301nori020-trans空飛ぶ円盤研究会の会員だった森田たまさんが、会の機関誌に投稿した内容です。

「作家 森田たまさんの場合」

昭和27年8月1日午後9時ちょっと過ぎ、私は樹立ちの深い鎌倉山の石段を仄かな月明かりをたよりに登っていた。すると不意に私の足許が真昼よりも明るい、しかも青い光にサッと照らされた瞬間、反射的に私は空を仰いだ。

真っ青に透き通るような飛行機が悠々と私の頭上を通ってゆく。大きさは4メートルあまり、魚形水雷のような形の尖端から一尺ほどのオレンジ色の火を噴いていた。その火の真ん中は紅く、両端はオレンジだった。真っ青に透き通った物体はキラキラ無数の魚のウロコのような緑の光をつけていて、その色は不気味極まるものだった。

悠々と感じた物体は、しかし忽古松の疎林の梢に沈んで行った。この事について私は世の人に幻覚といわれ気が変だといわれてもそれを甘受する。

百年ののち、いやもっと早く或いは私の生きているうちでもこの謎はとけるであろう。(抄)

「文芸春秋」30年10月号より

参考文献 空飛ぶ円盤研究会 宇宙機創刊号(1956年7月1日発行)

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月の裏側写真発表に際して

ソ連の自動惑星間ステーションによって撮影された月の裏側の写真がいよいよ発表されるに及んで、私たちUFO研究者は、複雑な感慨を味わっております。 (中略)

多少なりともUFO問題に関心を抱けばすぐに気付くように、従来UFO研究界を二分する二つの流れがありました。一つは、私たち日本空飛ぶ円盤研究会並びに近代宇宙旅行協会、日本UFOクラブを中心とするグループのように、判明した事実のみを基礎としてこれに現代科学の成果を総動員し可能な限り説明を与え、さらに推測を積み重ねつつUFOの本質に一歩一歩と肉迫してゆく、科学的研究方法をとる一派であり、他の一つは米国のジョージ・アダムスキ氏を以て代表されるいわゆるコンタクティとであります。 (中略)

ところが、このたび発表された写真によって、月の裏側の様相が、アダムスキ氏がその著書において彼自身の実見談として詳細説明しているものとは似ても似つかぬものであることが判明し、従ってこれまで同氏を中心とする一派が説いてきたところは、もはや信ずるに足りないものであるということが、ほぼ立証されるに到りました。

そしてこのことは、私たちが従来とってきた研究態度や方法が如何に正しかったかを如実に示すものとして、私たちは意を強うする次第であります。

もはや私たちはコンタクティの雑音に惑わされることなく、あくまでも科学的研究態度を以て今後の研究を進めてゆくべきであると確信しております。また一般世人に対してもUFO研究についての私たちの立場を率直に表明し、UFOのもつ真の重大な意義を認識せしめるよう努力すべきであると考えます。 (後略)

1959年10月30日 日本空飛ぶ円盤研究会

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 宇宙機 創刊30号記念特大号

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日航機長のUFO目撃(原稿)

010701sonota376-trans空飛ぶ円盤研究所長 荒井欣一さんが、3年の学習 62年6月号(4月末発行)に掲載した原稿の内容です。

「日航機長のUFO目撃」

今度の「日航」寺内機長のUFO目撃は、最近において、最も詳細を極め、最も信頼すべきは、150~300メートル以内で目撃していることである。

この範囲は一般にいうUFOとU、F、Oの違いを判定する重要な基準内にあるということだ。

遥かに高く、遠い所を移動したり、停止したりした光体をUFOとよく言っているが、これはあまりにも距離があり過ぎて、本当の意味でのU、F、O(未確認飛行物体)とは言えないのである。

今回は、その巨大さに驚かされるが、昨年、北極海で目撃された「サッカー場程の大きさ」というものもあり、最近は巨大化してきたのであり、更に遠方の星から飛来している可能性もあろう。

木星とか、金星とかの見間違い説も出てきたが、これらの可能性は機長の報告を聞く限り到底あり得ないものと思う。

注釈 U、F、Oとは、米空軍が多額の費用と科学者等によって調査分析されても、なおかつその正体が判明しなかった飛行物体であり、実体が判明したものはI、F、Oと区別しているとしています。

参考文献 空飛ぶ円盤研究所長 荒井欣一氏執筆原稿(画像の内容とは異なります。)

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日本空飛ぶ円盤研究会活動秘話4

010301nori014-trans日本空飛ぶ円盤研究会活動秘話(4)に掲載された内容です。

「高梨氏の誤りを裏付ける証拠」

前号の最後に研究会発足の件で大阪の高梨氏の誤りを指摘したが、其後それを裏付ける重要な文書を補足して、参考にもなると思うので再掲して見たいと思う。

天文解説者として有名な草下英明氏は、その60冊目の書、84年発行の「星日記」草思社刊の中の1956年(昭和31年)で、

「7月1日『宇宙機』という妙な会誌の第1号が出ている。荒井欣一氏が始めた空飛ぶ円盤研究会の機関誌で、第1号は半紙裏表にガリ版刷りというささやかなものだったが、2号からは週刊誌版14頁の堂々たるものとなった。内容はUFO情報であるので、私など軽蔑しきっていたが、何しろ会員に、北村小松、三島由紀夫、石原慎太郎といった人物が名を連ねていた。この会は、延々今でも続いていて、荒井氏が会長である。ただこの方は1度も円盤を見た事がないそうだから、実に面白い。後略。」

当時の天文関係者の一般的考え方として面白いが、これらの厚い壁に挑んで跳ね返すほどのエネルギーが必要だったのである。草下氏も研究会が其後発展して「UFOライブラリー」になっている事は御存知無かった様だ。

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 活動秘話(4)(発行日等は不明です。)

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日本空飛ぶ円盤研究会活動秘話3

日本空飛ぶ円盤研究会活動秘話(3)に掲載された内容です。

「歴史を歪曲する高梨氏」

大阪には高梨純一氏が主宰する「近代宇宙旅行協会」が31年12月に設立された。高梨氏は、「日本空飛ぶ円盤研究会」発足直後より会員になられ、「宇宙機」には毎号のように投稿を戴き、特に海外情報に詳しい氏の原稿は、多くの会員を魅了していた。当会が小生の休養で休刊していた時も、殆ど毎月のように、例え薄っぺらな機関誌になった時があっても、現在迄機関誌の発行を続行されている事は、まさに驚嘆に価するものがある。「CBA問題」に対しても東西呼応してその非現実性に対応してきた、言わばUFOにおける「吻契の友」だった時代があった事は事実である。

ところが最近、会の名前を「日本宇宙科学研究会」に変更し、今年の6月になって、氏が発行したA7版の「20世紀最大の謎 UFOの研究」では、氏の主宰する団体が、あたかも日本最古の研究団体のように書いてあるが、この点は本誌の読者には、私が言うまでもなく、これは明らかな「ぎまん」である。これは氏独自の権威主義と独断的なもので、氏自身が多くの人の笑い者になる格好の材料を提供したもので、誠にご愛嬌と言わざるを得ない。「JSPS」の会員の方に今更こんな事を言うのも大人気が無いのでこの辺にしておく。

嘗ての親友 高梨氏よ、友好回復の為にも、会の設立時期の自説を改めて、自ら訂正する決断を希求するものである。それによって再び友好の絆を太めて行きたいと思っている。これはJSPSの会員の願でもあろう。

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会活動秘話(3)

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日本空飛ぶ円盤研究会活動秘話2

日本空飛ぶ円盤研究会活動秘話(3)に掲載された内容です。

「円盤は他の天体から キーホー著」

この本の著者は、海兵隊退役少佐で、海軍アカデミー、海軍将校学校を出た生粋の軍人パイロットであり、後に、「NICAP」という研究団体を組織している。この本は1953年に発売され、ベストセラーになったもので、それだけに資料は、米空軍の資料を主として、驚くべき事実を公開している。

キーホーは円盤の性能等から、円盤が地球外の天体から飛来した「宇宙機」だと認めており、太陽系以外の星と考えていたようだ。(私も戦時中陸軍航空隊のレーダー整備将校だった経験からキーホーの説に耳を傾けていた。)

本書には円盤の写真は1枚も載せていないほど、資料の真実性に厳密な注意を払っている。また、メンゼル博士の否定論にも理論的に反駁しているが、一方では円盤が着陸し、搭乗の宇宙人と会見したという話には批判的であった。しかし、後年、考え方に変化があったが。

彼は8冊程の著書があるが、邦訳されているものは少なく、大陸書房から「未知なるUFO」(原題ALIENS FROM SPACE)のみではなかろうか。研究者必読の書。

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 活動秘話(3)

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日本空飛ぶ円盤研究会活動秘話

s-空飛ぶ円盤研究会2昭和30年7月に設立した日本空飛ぶ円盤研究会の連載・日本空飛ぶ円盤史(2)に書かれた内容です。

「各界の名士続々入会」

入会された会員の中には、思いもかけず多数の著名人が多数入会されて来たのには予想もしない事だった。昭和27年8月1日午後9時過ぎ鎌倉山で魚雷型のUFOを間近に目撃された随筆家で有名な森田たま女史、作家として著名だった三島由紀夫氏(後に投稿や観測会に出席して貰う。)、世界の奇談、奇現象等をシリーズで新潮社から出版していた黒沼健氏、作曲家として未来を嘱望されていた黛敏郎氏等々私としては意外と思われる方々が続々入会されたのは大きな感激だった。更にその後「太陽の季節」(昭和31年1月)で芥川賞を得たばかりの石原慎太郎氏も入会してきた。

なお、入会の経緯は、週刊読売、朝日の「素描」欄、日刊スポーツ等の当会紹介により、UFO研究者、関心者がドット入会してきたと書かれています。

参考文献 空飛ぶ円盤研究所長 荒井欣一氏資料(画像の資料とは異なります。)

 

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現代生活の詩(原文)

日本空飛ぶ円盤研究会の会員であった三島由紀夫氏が会のために書いた記事がありますので、紹介します。

「現代生活の詩」

これからいよいよ夏、空飛ぶ円盤のシーズンです。去年の夏は、熱海ホテルへ双眼鏡ももって行って、毎夜毎夜、いはゆるUFOが着陸しないものかと、心待ちにのぞいてゐましたが、ついに目撃の機会を得ませんでした。その土地柄からいっても、ヘタに双眼鏡に凝っていたりすると、疑はれて困ります。世間はなかなか高遠なる趣味を解しません。

宇宙に関するファンタスティックな趣味は、少年時代、稲垣足穂氏の小説によって養はれたもので、もともと科学的素養のない私ですから、空飛ぶ円盤の実在か否かのむづかしい議論よりも、現代生活の一つの詩として理解します。

今年の夏は、ハワイからアメリカ本土をまわる予定ですから、きっと円盤に遭遇するだろうと、今から胸踊らせてゐます。南十字星なんかより円盤の方がずっと強く、私の旅へのあこがれを誘うのであります。

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会宇宙機13号 昭和32年7月発行(素案) 三島由紀夫著(宇宙機原本は保有していません。)

 

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