こうなると、空とぶ円盤が着陸して、またとびたったとか、円盤にのっている宇宙人をみたとか、円盤にのせてもらった、テレパシーで、円盤の搭乗員と話をした、などといった、おもしろ半分の記事が、雑誌にあらわれたりしはじめた。
空とぶ円盤の写真といわれるものも、あちこちに発表されたが、たいていは、トリック写真といって、それらしくつくったにせものだった。
「円盤は、宇宙のかなたからくるんだ。核兵器などをつくって、戦争をやめようとしない地球人に、警告をしにきたんだ。」
「もうすぐ、地球は破滅するんだって。それで、円盤が人類をすくいにきてくれるのさ。」などという、うわさがたったりもした。
そんなときに、UFOのことを、できるだけ科学的に調査し、研究しようとおもいたった人がいた。
荒井欣一さんだ。
荒井さんは、1923(大正12)年、東京生まれだから、そのころ、29さい。戦争中は陸軍航空隊にいて、レーダーをあつかうしごとをしていた。終戦後しばらく、荒井さんは大蔵省という役所につとめ、それから、書店をはじめた。
書店となれば、外国でおきたじけんの報告も、日本のものも、おもいのまま、すぐに目にすることができる。
荒井さんは、1955(昭和30)年、「日本空とぶ円盤研究会」という会をつくった。それから三年のあいだに、空とぶ円盤をみたという、くわしい報告が、手もとに五百けんあつまった。「こうしてわかったのは、UFOだとおもったものが、ほんとうは、そうではなかったという例がおおい、ということでした。」(つづく)
参考文献 講談社 おはなし子ども新聞4 びっくりふしぎめぐり 日本児童文学者協会編 昭和57年7月10日 第1刷発行 61頁