北川幸比古さんが書かれた「きみはUFOをしんじる?」から一部抜粋した内容です。
日本では、1947(昭和22)年に、新聞に空とぶ円盤のニュースがのってから、しばらくのあいだは、UFOが話題になることはなかった。
1950(昭和25)年、朝鮮半島で戦争がおき、それとかんけいでもあるように、1952(昭和27)年、日本にも空とぶ円盤があらわれた、という記事が新聞にのった。
「空とぶ円盤 東京にあらわる」(8月2日 読売新聞)という見だしで、東京の世田谷区にすむ慶応義塾大学の学生、Sくん(19さい)が21時3分ごろ、自宅のちかくで、水色がかった光のかたまりが、ながい尾をひいて、南から北へととぶのをみた、という記事だった。大きさは、月の半分か、三分の一ぐらいだったという。
おなじ時刻に新宿で、また、東京駅のちかくにあった中央気象台(いまは気象庁)で、観測中の観測員がおなじものをみた。
「花火ではないし、流星にしては、大きすぎる。」
そのほかにも、もくげき者が何人もあらわれて、さわぎは大きくなった。
そのひと月まえ、アメリカの首都ワシントンの上空に、空とぶ円盤の大編隊があらわれて、レーダーにもとらえられ、ジェット機がついせきするというじけんが、おきたばかりのときだった。
新聞では、正体は流星か、火球とよばれる、流星のたいへんあかるいものだろう、と、なぞときをしていたが、円盤は、つづいて、京都に、佐渡に、九州に、四国にと、さまざまな場所にあらわれるようになった。(つづく)
参考文献 講談社 おはなし子ども新聞4 びっくりふしぎめぐり 日本児童文学者協会編 昭和57年7月10日 第1刷発行 61頁