空飛ぶ円盤研究会の設立に踏み切る

s-空飛ぶ円盤研究会荒井欣一さんの書籍「UFOこそわがロマン」に書かれた「J・F・S・Aと空飛ぶ円盤研究史」日本空飛ぶ円盤研究会=J・F・S・A」誕生秘話!の内容の一部です。

1950年に大蔵省印刷局を辞めた私は、山手線五反田駅前で本屋を開業しており、懇意なお客さんとたびたび店頭でUFO論を闘わせていた。

しかし、来客ばかりの特定の範囲の人たちだけの討論だけでは、空飛ぶ円盤の真相究明はとても出来ないと思い、関心者を広く集めた上で、「研究会の設立」が急務と考え、いろいろと設立のプランを練った。

その時、まっ先に頭に浮かんだのは、当時、S・F作家でユーモア作家として知られていた北村小松氏に相談する事であった。

私はさっそく北村先生宛に、研究会の設立計画を詳しく書いた手紙を送ったところ、すぐに協力を約束して下さるとの返事をいただいた。

北村先生とは、この時まで一面識もない間柄であったが、快くご相談にのって下さり、研究会が正式に発足する頃には、北村先生のおとりなしで徳川夢声氏、石黒敬七氏、中正夫氏、糸川英夫氏などを顧問に推薦していただき、大変恐縮に思った次第であった。

北村先生のお宅をお訪ねした時は、奥様からご歓待を受けると共に、先生が当時購入されていたUFO書籍十数冊をお見せいただいた。このときあつかましくも翌1956年2月の会合へのご出席もお願いしてしまった。

その際、北村先生と合意した主な事柄は左記の通りである。

1 科学的原則は重視するが、時として非現実的科学論にとらわれない。

2 非科学的、宗教的UFO論は極力排除すること。

3 現時点では否定論、肯定論もできるだけ公平に扱う事。

4 できだけ多くの情報を収集し、正しい情報は速やかに会員に伝える事。

5 営利主義的な団体とならず、すべての責任は荒井が負う事。

6 会員相互の意見を尊重して、できだけ分裂、対決を避ける事。

以上の様な趣旨を体して設立の準備を始めた。そして研究会の設立日は、すでにお客様の中のUFOファン入会希望を初めて受け付けた日である「七月一日」とした。

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史 2000年11月発行 12頁

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