その子どもの思春期に、一番影響を与えてくれた恩人は?の問いに、おもしろい答えが返ってきた。ピンクレディーだという。
「UFOっていう歌があったでしょう。あれは大きかった。それまでUFOの意味ひとつ説明するのに、大変だったから。
それにあの曲が出たのは1977年。僕にとってもUFOに興味を持ち出してから、ちょうど三十周年目の節目だったんだよね。
これはひとつ、何かやらなくてはいかん、との思いでUFO年鑑という本を一冊、自費出版で作った。これを一カ月で作ろうとしたもんだから、大変だったんだ。
会社のコピー機とかマイクロ写真を使ったりしてね。どんどん資料を作っていったわけ。社長も公認だったし。
社員もまあ、荒井さんならしょうがないやって(笑)。何がなんでも作り上げてやろうという執念があったんだよね。当時は2千円で出したけど、今はプレミアがついて七千円ぐらいするよ」
その執念の結晶を「特別だ」ということでいただいてしまった。ザラッとした触り心地。手作りの重みが伝わってくる。
この「UFO年鑑」にも見うけられるが、荒井さんの口からは再三再四「ロマン」という言葉がもれる。
ロマンというセリフが似合う人なんか、そういるもんじゃない。それもこれも、昭和22年から現在まで、足かけ四十四年間という長い長い歳月がなせるワザなのだろうか?
ちなみに荒井さん、今の今までUFOを目撃したことは、ただの一度もないという。
だからロマンなんだよ…うん」荒井さんの机の引きだしには今もカメラとハンディ・ビデオがたえず用意されている。(辻本祐司)「STLUDA(創刊号)」平成3年6月号旺文社発行より再録(終わり)
参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史 2000年11月発行 2頁