荒井欣一氏にインタビュー「画期的だったUFO25周年記念講演会」#9

s-荒井欣一(T氏)現在、並木伸一郎さんの主宰する日本宇宙現象研究会(JSPS)の顧問を引き受けておられますが、並木さんのグループとの出会いはいつ頃ですか?

(荒井)ええ、再びあちらこちらにボツボツ書き始めまして、そのうち昭和47年、ちょうどUFO25周年の年がやってきたわけです。それで何か面白い企画をやってみようと思って、品川の公会堂でUFO講演会を開いたわけです。会としては休会したままですから、すべて何から何まで自分一人でやりました。まあ、女房が手伝ってくれましたし、当日の受付は会社の連中に応援を頼みましたがね。講師には高梨さん、南山さん、平野さん、柴野さんにもお願いして来てもらいました。この催しがたまたまNHKなんかで取り上げられ、朝日新聞の催し物案内の欄にも出ましてね、おかげさまで当日は押すな押すなの大騒ぎになりまして、公会堂からも消防署がうるさいので何とかしてくれなんていわれたぐらいです。

(T氏)この翌年ぐらいから、ちょっとUFOブームになりましたね。

(荒井)そうなんです。それまでも目撃事件があれば新聞の囲み記事程度にはなりましたが、やはり大きな話題として週刊誌なんかがとりあげるようになるのは、この後です。我田引水になるかもしれないけれど、確かにこの講演会なんかがひとつのキッカケになったといえます。まあ、こう言うと悪いですが、ユニバース出版がスタートしたのもこの後ですからね。

(T氏)当時としては画期的なイベントだったと言えますね。

(荒井)ええ、それでまたちょうどその頃、並木君なんかの若いグループもできかけてきた。かれらは平田さんとはつながりあったけれども、私とは面識がなかった。この講演会に並木君や志水君が来て初めて知り合ったわけです。志水君は予約を締め切った後にだったんですが、受付で強引にねばって入ったそうです。名刺には「会長」とかなんとか書いてあってビックリしましてね。。それから彼らが協力して日本宇宙現象研究会を作るんで、顧問になってくれというんで、まあ名前だけで何もできないよといって引き受けたわけです。

この翌々年の昭和49年にもやはり品川の公会堂で「ヒューマノイド講演会」を行いました。その後は一昨年、霞が関ビルの36階で日本で初めての「UFOフェスティバル」を12日間開催したり、もう、このあたりのことになると皆さんご存知でしょう。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button