荒井欣一氏にインタビュー「本屋の店頭での議論からスタート」#2

s-荒井欣一(T氏)なるほどよくわかりました。それで、いよいよ「日本空飛ぶ円盤研究会」を結成しようということになったのは…?

(荒井)今申し上げましたように、昭和22年~23年頃からずっと興味はもっていましたが、研究会を結成したり機関誌を発行したりということになるのは、もっと後です。そのキッカケは、昭和29年に例のジョージ・アダムスキーの本が日本でも翻訳されましてね、私はちょうどその頃五反田の駅前で書店をやっておりました。私としては当時からこんな話は科学的な検証に耐えうるものではないし、こんなにハッキリ写真が撮れるものかと疑問に思いましたが、そのうちに、この本を買った人で、近所の関心のある人たちが店の中に集まって、ウソかマコトかという議論が続くようになった。大半は否定的でしたが、なかにはずいぶん熱心に支持する人もいて、やがて、こういった問題をひとつ公の場で論じてみたら面白かろうということになってきた。ただ、アダムスキーがウソかマコトかという特殊な問題だけじゃなしに、UFO全般について論じあおうじゃないかということでね。それで昭和30年7月に「空飛ぶ円盤研究会」、当時はまだ「日本」というのを頭にかぶせてなかったんですが、ともかくも名乗りを上げましてね、翌年2月4日に五反田の私の家の近くの水野食堂2階で正式に第1回目の会合をもったわけです。

(T氏)その半年間は準備期間だったわけですね。

(荒井)ええ、当時、北村小松さんという有名な流行作家が、文芸春秋とかいろんなところにUFOについて書いておられましたので、この方にも連絡を取りましてね、科学的な研究態度でUFOの研究会を組織して専門的にやってみたい、何かご援助いただけないでしょうか、ということで手紙を差し上げたりしました。そうしたら、君の意見に大賛成だ、大いにやりたまえ、全面的にバックアップするから、というような返事をいただきまして、たいへん気を強くしたわけです。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

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