(UFOと宇宙12月号・1978年から)
聞き手 本誌編集部 武田益尚(以下「T氏」)
(T氏)まず最初に、荒井先生がUFO問題に興味をもたれたキッカケ、そのあたりからお話しいただけますか?
(荒井)あざやかなキッカケ、たとえば実際にUFO目撃したとか、そういうのはないですよ。私は戦争中、山口県小月の陸軍航空隊、現在は海上自衛隊の航空基地になっていますが、そこの機上レーダー、つまり戦闘機や軽爆撃機に搭載する機上レーダーの整備基地におりました。そこで、敗戦後は「翼のない日本」ということになってしまいましたが、航空機や気象・天文観測ということに対してはズーッと興味を持ち続けていたわけです。そこへたまたま、UFOというよりも当時は「空飛ぶ円盤」ですよね、そのニュースが日本の新聞にも出たんです。
(T氏)戦後の空飛ぶ円盤騒ぎの発端となったといわれている、ケネス・アーノルドによるレイニヤ山上空の目撃が、日本でも報道されたのですか?
(荒井)一般のニュースのようにすぐ報道されたわけではなかったようですね。FENでは放送したそうですが。ただ、アーノルドの目撃が昭和22年6月24日ですが、早くも7月頃になると、アーノルド事件を含めて、アメリカに謎の物体現る、といった記事が出たし、8月頃になると、いったいあれは何だろうということで特集記事も組まれたように記憶しています。また、日本での目撃者も名乗りをあげはじめました。
そういうのを読んで、これは私の直観ですが、どうもこれは地球上の飛行機とは形態もちがうし飛び方もちがう、他の天体の知的生命があるいは飛ばしているのではなかろうか、と考えるようになった。そうなってくるとさらに興味を覚え、それとその頃、国際情勢がたいへん険悪になって、いつまた世界戦争が勃発するかわからんといった状況になってきた。こういう険悪な情勢を打開し、平和な状態にもどすにはどうしたらいいだろう。ここでもし地球に監視している第三者的存在のUFOというものの実在がはっきりすれば、たちどころに戦争はなくなるんじゃないか、そういう期待もあって、この円盤こそは、私たち人類の将来にとって貴重な存在ではないか、とこう考えるようになったわけです。
つまり私は、科学的観点ということはもちろんですが、政治的というか平和的な観点からも興味をもった。ですから、その後、「日本空飛ぶ円盤研究会」を結成してからも「宇宙平和宣言」などの声明文を機会あるごとに発表しました。あの声明自体、時代の変化はあっても、基本的には今でも立派に通用するものだと思うし、そういう姿勢をもって今日までUFO問題に取り組んできたというのが私としてはひとつの大きな自負なんです。(つづく)
参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史