UFOからSFへ「柴野拓美氏」#2

荒井さんがそのように感じられなかったとすれば、これはまさしく大人物の相だし、感じながらも大目にみてくださったとすれば、まことに寛容この上もないし、だまってやらせておくのが将来みんなのためになると見抜いておられたとすれば、これまたおそるべき卓見だったとしかいいようがない。(実際には大目にみてもらったどころではなく、荒井さんの紹介で新聞や雑誌に書かせてもらうUFO関係記事の原稿料を、わたしはそっくり「宇宙塵」につぎこんでいたし、奔走時の購読者の過半数は荒井さんの会の人たちだったから、むしろ間接的に大きな援助をうけていたといわなければなるまい)。

ところで、私は根が軽率なのか、悪気はないのに、そのあともいろんなところで、そういった造反的行動に奔るくせがぬけない。そしてしっぺ返しをくって痛い思いをするたびに、あらためて荒井さんの人柄が思い起こされるという次第だが、もっともそんなことがいちいち思いあたるようになったのは、SFの世界がある程度ひろがって(同時にわたしも年をとり分別ができて)からのことである。初期のころの、運命共同体的な仲間うちのつきあいは、まことに大らかなものだった。独特な才能を持ったもの同士の「認め合い」と疎外者を出さない「甘え合い」がスムーズに両立した、一種の蜜月時代であった。

当時のムードを、宮崎惇さんのレポート(宇宙塵20周年を祝う会プログラムアップブック所載)からひろってみよう。

━7月10日、Mは初めて、柴野拓美、斎藤守弘、星新一の三人に会った。「日本中で、ここほど科学小説を集めてあるところはないだろう」という柴野の書斎は、たしかにそうの言葉にふさわしく、田舎の片隅でお山の大将を気取っていたMを圧倒するに充分だった。

お山の大将といえば、柴野自身も、「同人グループを結成するまでは、ぼくも御多聞にもれずお山の大将だった。自分ほどの分類に詳しいものはいないだろうと思っていた。ところが集まってきた仲間たちと話し合うにつれ、その考えはくずれていった。知識の点ばかりではなく、それについていかに多くの考えかたや方法があるかをあらためて思い知らされた」といっている。

SFは小説ジャンルとして最も新しいものの一つであり、また特殊なものでもあったため、それに手をつけたものたちはとかく「お山の大将」になりがちだったわけである。柴野の言葉は「宇宙塵」に参加した同人の誰にでも当てはまることであった。

のちにショートショートで名をはせる星新一の口からは、絶えずユーモアがただよった━文中の「M」といううのは、もちろん宮崎さん(長野県在住)のことである。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

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