UFO評論家の柴野拓美さんが昭和55年「小説CLUB」9月号に掲載した随筆の内容です。
思い出話はなつかしい。いい思い出は楽しい、にがい思い出はそれなりにというと、流行遅れのコマーシャルだが、こと荒井欣一さんに関するかぎり、わたしに残っているのは、いい思い出ばかりである。
この点は、昔からの友人の誰にきいても同じだ。ただ、わたしの場合は、その中に、少しばかりうしろめたい気持ちがまじってくる。荒井さんの「日本空飛ぶ円盤研究会」にとびこんで、先輩格の小林敬治さんや鵜沢甫さんなどもいっしょにお手伝いをはじめた当初から、わたしが熱意をもやしていた対象は、UFOよりもSFであって、どうしても「研究」の本道である目撃例の収集分類よりは、綜合的なデータの空想科学的な解析のほうに比重がかたよりがちだった。そしてそのあげく、入会から約一年後の1957年春、わたしは、会の中枢メンバーだった星新一さん、斎藤守弘さん、光波耀子さんなど貴重な人材を何人か引き抜いて、SF同人誌「宇宙塵」を創刊、いわばのれん分けみたいなかたちで独立してしまった。(UFO関係外からの初期メンバーとしては、矢野徹さん、瀬川昌男さん、草下英明さん、石川英輔さん、宮崎惇さん、光浦龍さんなどがあげられる。)
いいわけを許していただくなら、もともとUFOグループの中にSFの好きな人たちが大勢あつまっていたわけだが、そういえばいまだに世間ではUFO愛好者とSFファンとがかなり混同されているらしい。実のところこれはUFOとSFの双方にとって、たいへん迷惑な話なのである。もちろん、まったく無関係だとはいいきれない。SFに登場する異星人の宇宙船が、古典的な砲弾形から、1947年のケネス・アーノルド事件以降いっせいに円盤型に模様替えしてしまったのは、まぎれもない事実だし、またUFO理論の中には、タイムマシンや重力推進などSF作家の空想の産物が、大幅にとりいれられている。しかし本質的には、SFは一個の文芸ジャンルであって、現象を追うUFO研究とはあいいれないし、UFO側としてもその目的は事実の探求にあるのだから、SFのつくり話といっしょにされるのは不本意なことであろう。
とまあ、そんなごたくが並べられるのも、いまだからのことで、23年前の当時はまだそのあたりも混沌としていた。あとからみれば両者の分離は必然のなりゆきだったわけだが、それでも、荒井さんが糾合した勢力の中で、わたしが分派活動を起こしたという事実にかわりはない。
荒井さんの目からみて、これはやはり一種の「裏切り」だったのではなかろうか?(つづく)
参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史