ここでひるがえって私が残して来たと思われるUFO界への足跡の2、3をおこがましくも紹介してみよう。
その一つは、32、33年頃の時代のUFO研究会は、社会的な動きの中に、自己主張を絶えず発表して来たことではなかろうかと思っている。その為にわれわれはいろいろな声明文を連発して来た。「宇宙平和宣言」「それでも円盤は飛ぶ」「月ロケット発射に関する要望」「警職法反対声明」「UFO研究の本道」等々。私達はこれらの声明を通じて私達の信念を披露し続けて来た。この中で「月ロケット」の声明文は駐日ソ連大使を通じて親善のかたちで当時のフルシチョフ首相に送られたもので、その後この問題が沙汰止みになったのはわれわれのアピールの賜物ではないかと希望的観測にすぎないが。
その2は「UFO年鑑」の発行ではなかろうか、UFO30周年の何等かの記念品をのこしたいという切なる希望から、独力で200頁以上に及ぶ年間を自費で刊行し得たことは、小生にとってまたとない記念碑となったが、更に来年も出してほしいという声に対しては全くやろうという気が起こらないのは、あまりの苦労の連続だった所為であろうか。
最後は何と言っても「UFOライブラリー」の開設にあると思う。50平方米約15坪の狭いフロアーながら、展示、談話、閲覧室を設け、書庫もあり、一千点以上の30年間に亘って営々として集めたUFO関係資料を展示、入場料無料で現在一般公開しているが、世界でも恐らく初めての試みであるかもしれない。しかしこのライブラリー開設に当たっては奇蹟としかいえない様な好機が連続して起こったことは今以って不思議としか思えないのである。「天は自ら助くるものを助く」を全く地で行った様なものであったからだ。
ところでUFOの謎は益々混迷の度を拡げつつある。しかしルソーがいっている様に「真実は時として地中深く埋められてしまうことがある。しかしある時期が来れば、巨大なエネルギーを結集して爆発的に地上に躍り出るものである」という言葉を信じたい。また、私がかくもUFOの科学的究明に熱意を傾けているのも一つ理由があるからである。この願いを一番良く知っておられるのが柴野氏御夫妻ではなかろうか。(終わり)
参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史