UFOこそわがロマン「荒井欣一氏」#2

s-荒井欣一このあたりでUFO30年を振り返ってみると、やはりあの研究会創設当時の苦労がまざまざとよみがえってくる。そしてもしも当時、UFO研究会に柴野拓美氏という強力なアドバイザーがいなかったなら、果たしてUFOの研究が、今日の姿で残っていたかどうか甚だ疑問にさえ思えるのである。

柴野氏との最初の接触は、UFOにも大変興味をもっていて私達を指導して下さった作家、北村小松氏の御紹介だったと思う。当時氏は高校の教諭をしておられたが、理論的な面においてわれわれは大いにバックアップして下さった。また、創設直後発生した銚子市の金属片落下事件の際は、その物体の鑑定のため、私と一緒にあの暑い街中を金属片を持って、あっちの会社、こっちの研究所等々と大分引っぱり回してしまった。最後にはアメリカ大使館まで行って空軍の参謀に会うなど、解決のメドを探して飛び回った記憶が、今も鮮やかによみがえってくる。

研究会は創立以来、しばしば会合を開いてUFOの検討を続けていたが、その中には星新一氏や斎藤守氏、高梨純一氏等がしばしば顔を見せていた。SF的な空想がしばしば満場を笑いのうずに巻き込み、和やかな会合が続いたが、そのうち、柴野氏を中心とするSF愛好の人達は、「科学創作クラブ」を設立し、同クラブに機関誌「宇宙塵」はわが国SF界の源流になったことは既に多くの人が語りついでいる。

柴野氏は同クラブを結成してからも、私達とは親密な関係を続いていたが、34年頃、氏は病気で一時入院されていたことがある。氏はその入院中のつれづれなるままに「日本空飛ぶ円盤の歌」を作詞して送って下さった。このことは余り世に知られていない事実であろう。

その第一節に「世にさきがけの面高く 蒼空仰ぎUFOの 研究会は生まれたり」という格調高い一節があるが、私は大変この詩が気に入っている。最近、テレビのCMで「さきがけとは、道を開くことなり」といっているが、UFOの研究の道が今後どのように開けて行くか、そしてUFOには、地球のさきがけになる重大なポイントが隠されているような気がしてならない。

一昨年NHKが6月24日にタイミングを合わせて、朝のテレビロータリーで、「UFOこそわがロマン」と題して約15分間UFOの研究グループ等の紹介などをしてくれたが、その画面の中で、NHKは世にさきがけて、「もしUFO搭乗者に会ったら、どの様な対応が出来るか」という模擬実験まで行ってくれた。出演者の真剣な対応が、かえって爆笑の対象となったが、大変貴重な体験ではあった。最近マスコミ関係もこの様な受入れ方をして来るなど、時代は急速に変化していることを感じとることができよう。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

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