日本空飛ぶ円盤研究会とCBAの関係はどのようなものだったのでしょうか。
松村雄亮氏とCBA問題が起こったのは、まだまだ先の事だが、我々が初期の活動を開始した頃、読売新聞の京浜版9月9日付で松村氏の事が紹介されていた。氏は火星大接近の翌日夜、円盤の国際観測が世界各地で行われ、これに初参加した日本人グループとして紹介されていた。氏は当時横浜市磯子に住んでおり、26才20名のグループを組織していた。との記事。
私は早速連絡をとり、同じUFO研究家仲間だったら手を携えて行こうと思ったところ、柴野氏が一応手紙を出してみるとの事だったので、私の旨を伝えてもらった。ところが当方の意に反して彼からの返事はなかなか強烈な返事だったので、最初からシコリを残してしまった。
彼からの返事には、読売の記事はミスプリントで、0を一つなくされたもので、我々は200名の会員を擁しており、出来たばかりの研究会とは提携できないというものだった。これは一種の強がりだと感じた。柴野氏は直に反論の手紙を送ったが、それに対しては何の反論もなかった。(後略)
参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会活動秘話(3)(発行日等は不明です。)