ゴミといっても、フィルム画にゴムが付着しているのではない。現像時に付いていたゴミが後になって取れ、そこだけ白く抜けてしまったもののことである。
ゴミはカメラをよく手入れしていてもフィルムに問題があれば写ってしまう。ある意味では、仕方がない誤認写真といえる。しかし、この写真も未然に世に出るのを防止する判定法はある。
カメラにはピントがあり、ピントが合っているところはきれいに写るが、どんなにピントが合っていても人間の手作業によるので、その輪郭を拡大すれば多少なりともピントがずれていることがわかるはずである。ところがゴミは、フィルム面に密着しているために線がシャープに出るのだ。色が付いていれば、その色に写る。
しかしこれにも例外がある。昭和56年3月に、愛媛県川之江市で触手型UFOなるものが撮られたが、実はこれもゴミ(ダニ)の写真だったのだ。この写真をご存知の方は、ゴミがシャープな線で出ていなかった点に、私の判定法との矛盾を感じると思う。しかし、この写真は例外中の例外で私の判定法によって判定できない唯一のゴミ写真だったのだ。
私のいうゴミは、ゴミといってもトゲやホコリのような非常に小さなもののことで、この写真に写っているダニのような、いわば立体感を持った大きなゴミには当てはまらないのだ。というのは、ダニには手もあれば足もある。
つまりフィルム面に密着するところも密着しないところもあるのだ。密着しない点は、焦点がぼけてシャープには線が出ないわけである。
しかし、この手の誤認写真は滅多になく、私の知る限りでは、国内では3枚だけである。それこそ10年も1回出るか出ないかの代物であって、こういうものもあるくらいに思っておけばよいだろう。
UFO写真は非常に魅力的で、貴重なデータに思われがちであるが、実際は目撃同様誤認が入り混じり、忠実に目撃の一場面を写しだしているという程度の価値しかない。言い換えれば、変形データなのである。
コンタクト系の団体などがよく鮮明なUFO写真を会誌に載せているが、これらについても鮮明だから本物というものではなく、自分なりによく吟味して結論を出すことが望ましい。
また、自分が撮った写真にそれらしきものが写っていても、すぐに研究会や出版社に送るのではなく、自分なりに分析し、なおかつUFOらしいということになれば、正確なデータを添えて鑑定してもらうようにすべきだろう。
参考文献 UFOと宇宙 ユニバース出版社 昭和58年5月1日発行通巻第94号 68頁