クリプトツーリズムについての卒業論文を読んで

以前、クリプトツーリズムを卒業論文の題材にするために、UFOふれあい館に取材に来た学生がいたことをこのブログに書いた。その方が大学を卒業し、卒論を持って遊びに来てくれた。

クリプトツーリズムとは、妖怪、怪物などの伝説を使って観光地化する地域振興の一種で「化け物観光」と呼ばれることもあり、元々はアメリカで生まれた新しい観光学の考え方で未確認飛行物体(UFO)や未確認生物(UMA)などの怪奇談を地域おこしに利用しているとのこと。

この卒論には、UFOの歴史やUFOふれあい館で聴取した内容が事細かく記載され、従業員の高齢化や施設の老朽化など弊社の懸案事項まで書かれていた。

読み進めると、私の目に留まったのはコンテンツに関してだった。卒論の筆者によると、怪異の度合いが先鋭過ぎたり浅すぎたりすると成立しないというのだ。怪異の中でも誰も知らないようなものに特化したコンテンツ、又は怪異と呼ぶこと自体無理のあるものは潜在客の分母が小さすぎるとした。

要するに、マニアック過ぎるコンテンツだとコアな客だけになり、リピーターが必要になってくるということだろう。

では、UFOふれあい館で考えると、マニアの方も利用しているだろうが、大半は何か面白さを求めて利用している普通の方であることから、UFOは、クリプトツーリズムにとっては良いコンテンツだと考えられる。

しかし、UFOを生業にしている人(団体)という言い方をするとどうだろう、胡散臭いと思ってしまうことはないだろうか。

これは、1997年のアメリカのヘヴンズ・ゲート事件や日本の1957年の宇宙友好協会による「リンゴ送れ、C」事件等が影響し、UFOはカルト教的なイメージが払拭できないでいる。東京でUFOライブラリーを営んでいた荒井欣一氏もオウム事件が発生したことで通常の活動がしにくくなったと証言していた。

それでもUFOふれあい館は開館して30年経過した。

どうしてUFOふれあい館は30年も続けてこられたのだろうか。私なりの理由を二つ考えてみた。一つ目の理由は、地方自治体が第三セクター(現在は指定管理)で運営を始め、多少胡散臭さを軽減したのだろう。二つ目は、歌謡曲のUFOにあると思う。1977年12月に発売され日本中の人が踊り、UFOのイメージをクリーン化させたことは間違いない。

これ以外にも情報発信は必須で、臭い物に蓋をするのではなく、常に透明化を図ることが重要と考えている。

そして、卒論の筆者は、最後に、クリプトツーリズムはメジャーにはなり得ずマイナーな存在であるが、日常を逸脱し好奇心を満たす体験ができるコンテンツは今後期待できると結論づけた。

以上

なお、この記事はブログ担当の私見である。

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