昭和39年4月30日付け朝日新聞に掲載された三島由紀夫氏が書いた記事です。
北村小松氏と親しくなったのは、わずか3、4年前のことである。もちろん少年時代から氏の文名は飛行機と共に知っていたし、わたしが文士になってのちも、お互いに文士劇の楽屋の仲間であった。しかし、奇妙なことに、氏と本当に親しくなったのは、空飛ぶ円盤を通じてなのである。
あらゆる空中現象に関心を持つ北村氏は、もちろん円盤にも深い興味を寄せていたが、まだ一度もわが目で見たことがないのを残念がり、同じ思いの私と、嘆きを分つことになった。ついに二人とも、どうしても円盤を見たいという熱情にかられ、某協会の円盤出現予告にある時刻を信じて、夏の宵々、わが家の屋上へのぼって、氏が東の空を受持てば、私は西の空を受持ち、熱い希望にあふれて虚しい時を幾度かすごした。そのうちに二人ともあきらめてしまったが、円盤関係の原書を渉猟している北村氏に、その後もたえず、私は教えを乞うことになった。
それは秘密結社のニュースのようなもので、「何か最近面白いニュースはありませんか」と私は氏をつかまえては訊くのであった。氏も、こういう、仕事を抜きにして風流人の付き合いを喜んでおられたようで、私ばかりでなく、氏は最後まで、空に興味を持つ青年たちの友であった。
私は今、いい小父さんを亡くした悲しみで一杯だ。今にしてわかるのだが、とうとう円盤を見ることができなかった代わりに、私は円盤よりも貴重な一つの純粋な交遊を得たのである。氏の内の決して朽ちない少年のこころ、あらゆる新奇なもの神秘なもの宇宙的なものへの関心は、そのナイーブな、けがれのない熱情は、世俗にまみれた私の心を洗った。氏は謙虚なやさしい人柄で、トゲトゲした一般小説家の生活感情なんぞ超越していた。(つづく)
参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史