荒井欣一さんの書籍「UFOこそわがロマン」に書かれた「J・F・S・Aと空飛ぶ円盤研究史」日本空飛ぶ円盤研究会=J・F・S・A」誕生秘話!の内容の一部です。
1947年に発生したケネス・アーノルド事件以来今日まで、空飛ぶ円盤=UFOへの一般大衆の興味と関心は、マスコミも含めて、日を追うごとに、また年を追うごとに高まってきており、科学者、天文学者などの否定論も、現実無視の政略的な匂いさえも感じさせている。(後にハッキリするが…)
私は戦時中、山口県下関市近くの小月の陸軍航空隊の防衛戦闘部隊(飛行第四戦隊)の主力複式戦闘機屠竜(キー45)部隊の将校として、きわめてハイテクな機上搭載レーダー(タキー2)の装備にたずさわっていた関係上、戦後間もなく発生した空飛ぶ円盤問題については、当初より興味をもち、関係資料を読みあさっていた。
1950年頃から、敗戦後の虚脱状態から立ち上がりはじめた日本だが、と同時に、空飛ぶ円盤に関するマスコミ記事も多くなってきた。また、円盤についての詳しい情報も入手出来るようになってきた。
まだ多くの人々はその実在について疑いを抱いていたが、その反面、研究者たちは終始黙々と資料を収集し、公然と発表こそしなかったが、強くその実在について、確信しはじめていた。
私がもっとも勇気づけられたのは1953年2月5日付けの「朝日新聞」が報じた米軍パイロットたちの数度にわたるUFOの目撃だった。
北海道など北日本上空および地上から米軍人たちが、空飛ぶ円盤を目撃したというこの記事を私は等閑視できなかった。しかも目撃者は将校ばかりという願ってもない事件だった。(つづく)
参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史 2000年11月発行 12頁