このブログ記事の下に添付した画像は、日本経済新聞様の令和2年10月22日付けの新聞記事です。内容は、三島由紀夫さん50年後の問いということで特集を組まれているようで、3回目の連載になっています。
この新聞は、日本経済新聞の御担当様から、UFOふれあい館が当該新聞記事に協力したことで送っていただいたもので、何を協力したのかは割愛しますが、三島由紀夫さんの美しい星は異色作とされ、UFO研究家荒井欣一氏の日本空飛ぶ円盤研究会に三島さんが入会していたことが、この小説に影響を及ぼしたことはほぼ間違いないでしょう。当時、既に三島さんは著名人で、三島さんから入会の電話があったときのエピソードを荒井さんは記しています。UFOふれあい館には、荒井さんが所有していた美しい星の単行本もあるのですが、この本は、荒井さんにとってすごく嬉しかったのではないかと想像してしまいます。
小説家の星新一さんもまた日本空飛ぶ円盤研究会の会員でした。まだ作家ではないときに円盤研究会に入会されたのですが、同じく円盤研究会の会員だった柴野拓美氏が創設した「科学創作クラブ」のメンバーになられ、「セキストラ」が大下宇陀児氏に認められて、一躍文壇に乗り出されたわけです。要するに、円盤研究会がなければ、作家にはなっていなかったとも言えるのです。
昭和51年9月23日、「UFO同窓会」が霞が関ビル35階の天星苑で催されました。集まったのはUFO愛好会約50名。その中には元「日本空飛ぶ円盤研究会」の会員が多くいたこともあり、星新一さんが冒頭の挨拶をすることになったのですが、その挨拶が「私が今日あるのは荒井さんのおかげです。」という言葉だったのです。
晩年、雑誌の対談でお二人は昔を懐かしむように、今はUFOと言っているが私たちの頃は空飛ぶ円盤と言っていたと話されています。
UFOの番組を作りたいと時々制作会社の方からCIA秘密文書やJALの寺内機長さんのインタビューテープのことについての問い合わせがあるのですが、これら以外にも日本空飛ぶ円盤研究会にはUFOがつないだ男たちの友情というドラマがあるのです。
こうした企画も皆様に伝えられたら面白いかなと思っていますし、マスコミ等の方々の取材にも対応していきたいと考えていますので、UFOふれあい館をお見知りおきくださいますようお願い申し上げます。
UFOふれあい館にはまだまだお宝がいっぱいある?