日本空飛ぶ円盤研究会での出会いはドラマになるくらいドラマティック

010701sonota376-transUFOふれあい館には三島由紀夫さん、石原慎太郎さん、星新一さん等の著名人が入会していた日本空飛ぶ円盤研究会の資料が展示されています。この日本空飛ぶ円盤研究会を結成したのが、UFO研究家の荒井欣一さんです。

人生にはいろんな人との出会いがあります。日本空飛ぶ円盤研究会を結成した荒井欣一さんにも、いろいろな出会いがありましたが、それは、ドラマになってもおかしくないくらいドラマティックでした。

一つ目は、荒井さんが御自分で開業した本屋で懇意なお客さんとUFO論を闘わせていた出会いです。

昭和29年にジョージ・アダムスキーの本が日本でも翻訳され、荒井さんは、当時からこんな話は科学的な検証に耐えうるものではないし、こんなにハッキリ写真が撮れるものかと疑問に思っていました。しかし、この本を買った人や近所の関心のある人たちが店の中に集まってきて、ウソかマコトかという議論が続くようになったのです。これをきっかけとして、日本空飛ぶ円盤研究会を昭和30年に結成することになります。

二つ目は、三島由紀夫さんとの出会いです。

結成から約1年後に、荒井さんの自宅に一本の電話がかかってきました。「もしもし。円盤研究所ですか。入会したいのですが…。」と男性の声に、荒井さんが入会申込書を送付する旨を告げ、おもむろに名前を尋ねると、「三島由紀夫です。」と答えたそうです。まもなく返ってきた入会書には、「文士 三島由紀夫」と自筆で書かれていました。

当時、荒井さんは、「有名な作家でしょう。びっくりしました。」と語っています。三島氏の会員番号は「12」。円盤研究会はそれ以降、500人以上の会員を集めることになります。

三つ目は、SF作家星新一さんとの出会いです。

星新一さんが日本空飛ぶ円盤研究会に入会したときは、まだ作家ではありませんでした。円盤研究会に入会されてから、柴野拓美氏が創設した「科学創作クラブ」のメンバーになられ、「セキストラ」が大下宇陀児氏に認められて、一躍文壇に乗り出されたわけです。設立されたころの「科学創作クラブ」の主要メンバーの多くが円盤研究会の会員だったこともあり、円盤研究会が母体になったという考え方をされる方も多くいます。要するに、円盤研究会がなければ、作家にはなっていなかったとも言えるのです。

昭和51年9月23日、「UFOフェスティバル76」の一環として、「UFO同窓会」なるものが霞が関ビル35階の天星苑で催されました。集まったのはUFO愛好会約50名。その中には元「日本空飛ぶ円盤研究会」の会員が多くいたこともあり、星新一さんが冒頭の挨拶をすることになったのですが、その挨拶が「私が今日あるのは荒井さんのおかげです。」という言葉だったのです。

「荒井さんのおかげです。」と言う言葉に、結構感動しているU-タンなのですが、U-タン自身も、「誰々のおかげです。」と言えるような出会いをしてみたいと思っています。人生いろいろ、宇宙人もいろいろです。人間がダメならUFOふれあい館で宇宙人と出会ってみませんか。(笑)

Share Button