機関誌の名称「宇宙機」は、私の独断で決めたのだが、UFOは宇宙から飛来している可能性が強かったのと、その行動、型、大きさなどから飛行機の「機」を採用した。戦時中の戦闘機のイメージが残っていたのかもしれない。
原稿のガリを切ってもらったのは古くからの友人、大逸敬二郎氏に無理にお願いした。後に、鹿児島から私を頼って上京された会員の坂本邁氏(先年他界)に変った。
その後4月1日、「読売新聞」が「日曜の朝食に送る話題」として、「空飛ぶ円盤は惑星から発射された?」という記事を紙面に大きく取り上げた。
それは、黄田駐英公使が親友である防衛庁航空自衛隊幕僚長の上村健太郎氏に宛てた手紙の内容を紹介したものである。
手紙の内容は「英、米の専門家の間では、空飛ぶ円盤は実在し、太陽系以外の処から来ており、日本ではどの程度研究されているのか」というものであった。
その手紙を見た上村幕僚長は、もっと詳しい情報を送ってほしいとの問い合わせを出した。
折り返しすぐに、黄田公使から次のような返事がきた。
「円盤について英国の学者たちは真面目に研究しているが、それが実在し、地球以外の星から来ていると大体意見が一致している様だ…」
これは政府関係者の話だけに注目に価する記事だった。
そのすぐ後の5月9日夜、東京都内の江東、北区の人たちが円盤型で青白い光を放つとか、グリーンの火の玉を見たとか、同時刻頃堀船町一帯のテレビの画面がズレたとか等々の報告が新聞社に届いたが、東京天文台では軽く流星と判断していた。
その直後、これらの目撃例や森田たま女史の鎌倉山での目撃例などがまとめて「週刊読売」(6/3)に掲載された。
この時、初めて当研究会の存在が紹介され、そのお蔭で全国から問合せや入会の申込みが殺到した。
これを機に機関誌編集の機運が高まってきた。(終わり)
参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史 2000年11月発行 13頁