宇宙食「空飛ぶ円盤」(三島由紀夫氏)#3

010701sonota376-transいくら待っても、空には何の異変も現れなかった。飛行機一つ通らず、ときどき屋上をかすめて飛ぶ朝の小鳥たちの、白いお腹を見るだけであった。空がこんなに静かで何もないものだとは知らかなった。

5時をすぎると、妻はニヤニヤしてきた。「もう円盤なんか現れるもんですか」と妻は言いはしないが、あたりの朗らかな初夏の朝の景色が、口をそろえて明らかにそう言っている。

畑のあいだには、早くも犬を散歩に連れている人の姿が見え、緑の野の間の道を、白ズボンの腰に白い新聞の束を抱えた新聞配達が、鹿のように大股に駈けすぎる姿が小さく見える。向こうの丘の白亜のビルが、朝日をうけて、くっきり浮き出て来る。「5時半まで待とうよ」と私が言いながら、5時20分ごとになると、そろそろばかばかしくなり、眠くもなって、屋上を降りたくなってきた。

5時25分になった。もう下りようとしたとき、北のほうの大樹のかげから一抹の黒い雲があらわれた。するとその雲がみるみる西方へ棚引いた。「おやおや異変が現れたわ。円盤が出るかもしれなくってよ」

妻が腰を落ちつけてしまったので、私もその棚引く黒雲を凝視した。雲はどんどん西方へむかって、非常な速さで延びてゆく。西方の池上本門寺の五重塔のあたりまでのびたとき、西北方の一点を指さして、妻が「アラ、変なものが」と言った。見ると、西北の黒雲の帯の上に、一点の白いものが現れていた。それは薬のカプセルによく似た形で、左方が少し持ち上がっていた。そして現れるが早いか、同じ姿勢のまま西へ向かって動き出した。黒雲の背景の上だからよく見える。私は円盤にも葉巻型というのがあるのを知っていたから、それだな、と思った。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

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