空飛ぶ円盤研究会の会員だったSF作家星新一氏が「宇宙機」に寄稿する経緯が書かれています。
「星新一氏の場合」
いまでこそUFOばやりだが昔は空飛ぶ円盤と呼んでいた。新聞の外電欄などで関心は持っていたが、その研究会が日本に出来たことを新聞で読み、私が入会したのは、昭和31年の秋ごろだったと思う。そこで柴野拓美さんと知り合い、翌年のSF同人誌「宇宙塵」の発刊となったのである。
円盤研究会の会員は、少しおかしなのもいたが、大部分は意外とまともな人たちで、純粋な好奇心の持ち主が多かった。会長の荒井さんはまじめで温厚な性格で、そのため時たまの会合は、なかなか楽しいものとなった。私もたのまれるまま、会の機関誌の「宇宙機」に2回ほど文章を書いた。(中略)
先日、研究会創立20年のパーティーがあり、昔の仲間と久しぶりに会った時、私は言った。「UFOじゃなくて、空飛ぶ円盤と呼ばないと感じ出ませんね。」うなずく人が多かった。
いずれにせよ30歳前後のころ、私が円盤とかなり深くかかわりのあったのは事実だし、いまにして思うとそれが人生の一つの分岐点でもあったのである。
参考文献 空飛ぶ円盤研究会資料(スクラップブック)