地球に教訓する奇怪な宇宙人(月からきた小人)#8

s-宇宙人02地軸が急に132度傾くという説を吐いたパーバー博士も、実は米国の科学者名簿にない人で弁護士だとわかったことも私の場合と似ていて、UFOの関係文書は相当用心をして読まなければならぬ教訓ともなった。

しかしスカリーの小人はある意味では偶然ではないかも知れない。なぜなればスエーデンの有名な科学者で1700年代に潜水艇や機関銃や、航空機の設計図を書いたスエーデンボルグがどうした転機か、霊能者的になりストックホルムの大火を300哩はなれたところから如実に透視したり、天国や地獄を見たりして、1766年、カントに「視霊者の夢」という一文を書かせた。カントは「視霊者のいうことは形面上学者が現象以上のものを主張するのと同じで、色々の思想世界の幻影建築家である」といっている。

そのスエーデンボルグが「月から来た小人」を書いているのだから欧米人にはそれが色々な暗示となっていたにちがいない。月が宇宙人の基地として描かれたのは、アダムスキーがスエーデンボルグのことを知っていたからかも知れないし、わが国のある宗教雑誌にも月の基地のスケッチで、宇宙人の使う万年筆のスケッチまでのせているのがあるくらいだが、しかし、スエーデンボルグ自身は、まだUFOを道具にしてはいなかった。

むしろスエーデンボルグを円盤に結びつけようとしたのは、「UFOとバイブル」という書物を書いた。ミシガン大学およびパレーク大学の先生であったというジャサップの方である。このジャサックのことは後述するとして、もう少し宇宙人をさぐって見よう。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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地球に教訓する奇怪な宇宙人(月からきた小人)#7

しかし何といっても宇宙人との接見という大きな下地を作った大物は、先にもいったアダムスキーであるが、同時に英国で、「火星人との会見記」を書いたセドリック・アリンガムに、別の書物を1955年に出版させているワヴェニイ・ギルヴァンのねらいが、世界情勢の虚をつく企画であったと私は推測する。そしてその当のギルヴァンも「空飛ぶ円盤と常識」という書物を同じ年に出ているが、その書物の最後に、米空軍のUFO調査官であったルペルトが退役してから出した315頁、17章にわたる「報告書」(55年)の結論にUFOの実体について、「時のみがそれを告げるであろう」と書いているのとは別に、「私は全くの懐疑派の人たちが経験からか、議論の結果が、その懐疑をひるがえしたことは知っているが、しかし信じている人がただの一人もその逆に信条を変えたということは一つも耳にしない。この事実こそが無意義ではありえない」といっている。しかし彼が出版させたアダムスキー・アリンガム一派の人たち真実書いた通りであるのか、或いは極めて執念深い人であるか、どっちかだという疑問が私には残っている。

しかしそれ以前、1950年にフランク・スカリーが「円盤の背後に」という文章の中で円盤の搭乗員を「小人」と書いたのが、UFOに関して、「姿」をもつ宇宙人が現れた最初ではないかと思うのだが、この小人と、それを証明したギー博士の説は、架空のものであることが判明している。それにしてもUFOに関連すると戯説がいつの間にか真説らしくどこかへ浸透していく場合があることを私は自分で知って驚いている。だが数年前「カッパは湖中に故障で降りた円盤乗務員の宇宙人である」というこじつけの戯説を「毎日クラブ」に書いた。ところが、これが私が知らぬうちに西独の「UFO ナハリ ヒテン」をはじめ、スイス、デンマークの雑誌に真説らしくのり、しかも私が、いつも間にか博士や教授になっていることを知ったので、デンマークには私自身、スイスには友人を通して「あれは戯説である」という釈明をしなければならなかった。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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地球に教訓する奇怪な宇宙人(宇宙人との応答)#6

s-宇宙人02しかし彼の著書は宇宙人からの「愛と平和」のメッセージ集であって、これは地上の人間が考え得た。またこれからも考え得られる以上のモラルではない。おまけに彼は「私が乗っていたのではなく、円盤を操作する知能が、私が乗っていたと主張するのです」と書いているのは、太陽系外までUFOでいって来たという一日本青年が、私に「肉体を地上へ置いたまま行って来た」と語ったのと酷似している。

同じく宇宙人からのメッセージ集はウィリアムスン、ペイレイ共著の「円盤は語る」という127頁の本があるが、これは久保田八郎が重点的に訳して「オール読物」に載せられたことがあるからお読みの方もあろう。

ただ私にがてんがゆかないことは、タッセルの書に宇宙船のことをVENTLASと書いてあるのにウィリアムスンの用語解説には出ていない。また、宇宙人はこの地球をCHANと呼ぶとウィリアムスンが書いているのに、タッセルの方はSHANになっている。

日本でも、あるグループが念力をこめてUFOを呼ぶとき「ベントラ、ベントラ」というがあれはどこの言葉だろうと人に尋ねられたことがあるが、たぶんそれはこのヴェントラスの変形であって、ナミアミダブツと、ナンマイダのようにSをぬかしたんだろうと私は答えたことがある。地球上の航空機はナムバーが一つちがっても大変なことになるが、ベントラと呼んだだけで、宇宙人から応答があったというのだから宇宙人は厳正なのかルーズなのか私などには見当がつかない。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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地球に教訓する奇怪な宇宙人(宇宙人との応答)#5

ダニエル・フライというロケット技師が遠隔操縦のUFOに乗ったのは、1950年だと彼の「ホワイト・サイズの出来事」54年版という66頁の小冊子に書いてあるが、この人は科学知識があるので、接触とか研磨度とか加速などという難しい問題でもかなりきわどいトリッキーな書き方をしている。

その上、一番問題は、近代物理学への懐疑というか抵抗というか、そういうものが書中に出てくることだ。たとえば、宇宙人は、そのUFOの飛行原理を理解するには我々の基礎物理学の知識を根本から変える必要があると告げている。そして「アインシュタインが物質もエネルギーも定量的に等しいという数式を発表したことは正しいが、物質がエネルギーに依頼しえるしその逆もまた成り立つという誤った結論に達した」等々のことを書いている。

こういう点では接見派の書物には多かれ少なかれ共通したした点が見られる。しかしフライの場合は、姿として宇宙人は現れておらず、宇宙人の「お告げ」も耳で聞いたのか、頭の中に直接はいったのかという点も一考に価する。それは自己催眠や、潜在意識の発露に通じるきわどいものがあるからだ。

ところが、これに対して1952年「自分こそUFOに乗った最初の人間だと信ずる」という51頁の小冊子を書いているのは、ヴァン・タッセルである。彼はもと航空機関係の技師であった。これは、フライがロケット技師であったこと、さらに後述する有名な大先輩スエーデンボルグが科学者であったことや日本の安井清隆氏が共産主義を通ったこととともに、われわれに、宇宙人よりも人間というもの不思議さを考えさせるに十分であろう。

いずれにしろタッセルは、ジャイアント・ロックという所にもっている小飛行場に「星際飛行場・円盤・航空機歓迎」という立て札を立てている。そこに軽飛行機や自動車でUFO信者たちが沢山集まっている様子が写真に出ている。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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地球に教訓する奇怪な宇宙人(奇怪な飛行物体)#4

s-宇宙人このUFOが地球上のどこかの国の秘密兵器なのか、または外宇宙からの宇宙船なのかに関して欧米の大国は国家機関でその調査をはじめたし、私が入学した文献だけでも30冊は超える。

しかし、その3分の1は宇宙人の垂訓めいた話である。私は今日まで日本の天文学者とも連絡しながら、13年間空に気をつけてきたが、私にもその天文学者にも今日まで一個のUFOも見えないし、UFOが外宇宙からくる宇宙船だという決定的な資料はまだ一つも手にはいらない。どこにもないようである。

こういうところが、UFOに関連して宇宙人が出現する絶好の舞台であり、足場でもあると私は考えている。

それにしても5500年からUFOの記録があるのに、宇宙人が現れて人間に垂訓を与えはじめたのは、1950年以降だというのは、数年前から人工衛星が飛びはじめたということと何かの関係があるのだろうか。もし1950年以前にもUFOと関連して宇宙人の垂訓があったらご教示を賜りたい。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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地球に教訓する奇怪な宇宙人(奇怪な飛行物体)#3

近代UFOがマスコミに乗った最初は1948年であって、米国のケネス・アーノルドが自家用の航空機でレニアー山付近を飛んでいるとき、コーヒーの受け皿のような奇怪な9個の飛行物体の編隊を見、続いてユナイテッド・エアラインズの旅客機も同じようなものを見たことがボイゼ市の新聞に大きくあつかわれ、また米国一流雑誌が取り上げて書いたせいもある。

だが、古代UFO記録となると、「5500年昔のエジプトの記録までさかのぼらなければならない」とH・T・ウィルキンスは、その象形文字を彼の著書のなかで示している。色々な文献で見てもUFOは1947年に急に地球周辺に現れたものではない模様である。

しかし、アーノルドの目撃につづいて翌48年1月には早くも米国のゴットマン基地上空でマンテル大尉が、一個のUFOをムスタング戦闘機で追跡し、「目標は金属製のものの如し、トレメンタスサイズ(巨大)である」と報告して亜成層圏の高空から、謎の墜死をとげたことでさらに世人の注目をひいた。この事件の簡単なニュースは当時の在日米軍放送・WVTRが放送したから、私だけでなくじかに聞いていられる方がいるに違いない。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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地球に教訓する奇怪な宇宙人(宇宙人と会見)#2

uchuujin-2ポピュラー・サイエンスには随分前に「UFOとは無関係でも地球に大洪水が起こるかも知れぬ」という話が出ていたし、ガモフの書物にも「地球の過去に極の移動があったかも知れない」という地球物理学の様々なことが書いてあるし、恒星や惑星の生滅に関しても書いてるのだから、理性のある人たちなら別にあわてふためくことはなかった筈なのである。

第一、人間はどんなことをしたって一度は必ず死ぬものだという事実は動かすことはできない。それなのにあんな騒ぎが起こったりする下地を作ってくれた大物は、1953年と55年に「空飛ぶ円盤は着陸した」と「宇宙船の中」という本を書いた米国のジョージ・アダムスキーだといっても過言ではないと思う。というのは彼ほど世界的にその名を売った人は少ないだろうからである。

「オズマ計画」が考えているように、どこかの惑星にわれわれのような生物がいるかも知れないということは私といえども頭から否定できるものではない。この宇宙空間には何か未確認飛行物体が飛んでいるかも知れないが、それを追究することと、いわゆる「接見者」といわれる人たちが書いた宇宙人のことやその垂訓とは、別の問題として考えなければならないと私は思っている。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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地球に教訓する奇怪な宇宙人(宇宙人と会見)#1

uchuujin-3北村小松さんの作品が昭和36年4月号歴史読本に掲載されたものです。

宇宙人が地球人に対して様々の教訓を垂れ給うている。

それも皇居前広場のような、万人望見のもとで演説などをブツのではなく、第三者であると何人かが確認できないところで、特殊な人々に教訓を垂れるのである。その「特殊な人」というのはどういう人であるか、日本の厚生省調べでも20人に一人は精神的要看視人というデータが出いているくらいだから、やはり精神的に特殊な人たちなのかもわからないが、外国のそういう人たちの精神状態を確認する手段は今のところわれわれにはない。

いずれにしろ、そういうことが、1953年を一つの大きな年輪として世界的に目立ってき、それをまだ信仰的な態度で受け入れる個人やグループが現れている。

日本でも去年、一部そういう信仰的な人たちの間で、地球の終りがくると、ひとさわぎあったことは、新聞や雑誌やラジオでもとりあげたことだからご承知の方もあると思う。

このさわぎは、もとは1956年に日本でも訳出された、宇宙人と会見したというレイ・レックス・スタンフォード兄弟の「地軸は傾く」の「地軸が急に132度傾いて陸と海が入り乱れノアの洪水以上の災害がき、人類の93%は死ぬ」というような説が主軸をなしているし「それを直接宇宙人から聞いた」とあっては、前にポピュラー・サイエンスやガモフ全集やライル教授の「宇宙には終末がある」という理論を読んでいなかった人はあわてたかも知れない。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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漫画家 勇夢将士さんがUFOふれあい館に来た

5月21日に、漫画家の勇夢将士(いさむまさし)さんがUFOふれあい館に来館されました。

UFOふれあい館を訪れたのは、新作漫画の取材とのこと。新作はどんな内容になるのか気になりますね。

勇夢将士さんは、WEBコミックサイト「comico」で、モダンホラー漫画「BEYOND」や
バトルスポーツ漫画「スノーウォーズ」を書かれている方です。

取材ということで、いろいろお話をさせていただきました。

まず聞かれたことは、UFOの里ブログでも書いている「銚子の金属箔事件」です。こちらで保管している「UFOこそわがロマン荒井欣一自分史」という本を真剣に御覧になっていました。

もしかして、新作漫画の内容は、銚子の金属箔事件などのUFO事件が題材になるのかなと想像しながら、話を聞いてました。これは内緒だったのかな?(笑)

宇宙の話にもなり、ブラックホール、四次元の世界、ワープの話など、話題が豊富で私のほうが勉強になったくらいです。小説とか漫画も同じだと思いますが、何もないところから何かを生み出すって相当量の情報収集をしないとできないのだろうと大変さをすごく感じました。

その後も地球外知的生命体探査「SETI」の話や2014年11月に公開されたクリストファー・ノーラン監督のSF映画「インターステラー」が面白かったとの話など、話は尽きません。

取材を終え、U-タンは、勇夢将士さんの新作の漫画ができるのが楽しみになりました。

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宇宙が相手、判断は冷静に

s-荒井欣一昭和54年10月22日付け毎日中学生新聞に掲載された内容です。荒井欣一さんのUFOライブラリーについて紹介しています。

一般的にUFOへの関心が高まってきているといっても、ただ「見た見た」と騒ぐだけだったり、ヘンにオカルト的に見られたり、荒井さんたちマジメな研究家からみたら「質が低い」という人も多い。

「わたしたちがUFOと呼ぶのは謎の飛行現象を調査、研究してなおかつわからない現象をUFOと呼ぶわけで、ただ目撃したと騒ぐだけとは大違い。だから、もしUFOらしきものを見たら、冷静に科学的に判断する姿勢をもってほしいですね」(荒井さん)

とはいっても、いざ目撃したらどうすればいいのか。いまだに天文台、警察、新聞社などへ電話をしても一笑に付されるのがオチというのが現実だ。

そうしたことに対応しようというのが、UFOライブラリーを一つの情報センターとして生かそうという「UFO110番」構想。

やがては日本全国のUFOに関するすべての情報がここに集まるようにするというわけだ。宇宙を相手にしているだけに「夢」も大きい。

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事マイクロ写真撮影資料の一部 スクラップ記事

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