ミステリアスな分析結果、鉛を含む

010701sonota378-trans私と柴野氏は、さっそく都立の「工業推奨館」を訪ねて、この金属片の分光分析を依頼した。

後日、同館の松下技師により同館の「検査証明書」によると、1~10パーセントの鉛が予想外に混入しているのを検出した。

通常、アルミと鉛は合金し難いものと思っていたので、アルミ箔の大手メーカー「日本軽金属」に問い合わせたところ、同社では「アルミ箔には鉛を入れない」という解答を得た。

そこで、さらに念を押すため、東京工大の金属学教室の中村正久氏を訪ねて確認したところ、多くの資料を参照した結果、アルミに対しては0.2パーセント以上の鉛を合金することは出来ないということであった。

その直後、同大学に定量分析をお願いしていた鑑定書が届いた。それには10.9パーセントの鉛が含まれていることが明記されていた。

がぜん、私たちは色めきだった。この結果を見るかぎり、この金属片の持つ意味は革命的なものを意味した。

すなわち、「地球上の物ではない?」ということを示していたからである。正に本物であろうかと、暫くし興奮のうちに次なる対策を考えていた。

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史 2000年11月3日発行 発行人 荒井欣一 18頁

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謎の金属片を徹底追跡

010701sonota390-trans滝田氏から届いた金属片は、長さ四~五センチ、幅一ミリ、厚さ十ミクロンという細かいアルミ箔状のものであった。これらが九月八日の朝、銚子第四小学校の校庭の隅にまとまって落ちていたという。

UFOとの関係についてはどうかというと、前日の九月七日夜に、円盤らしき物体が鹿島灘から銚子上空を急速度で通過したのを、三十人以上が目撃していた。

また、それとは別に、半円形でダイダイ色の物体を目撃していた人もいた。その直後、市内近辺に金属片が降ってくるのを目撃した人もいるし、窓からフワフワ入ってくるのを見た人もいたということだった。

歯科医師だった滝田氏の所にこれらの金属片が持ち込まれた。同氏はさっそく塩酸、硫酸、硝酸で試験してみたが、はっきりした結論が得られなかったので、当会宛に現物を送り、調査依頼されたのである。

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史 2000年11月3日発行 発行人 荒井欣一 18頁

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火星大接近と謎の金属片落下事件発生

s-宇宙人02昭和31年9月7日は、久しぶりに火星が地球に大接近するので天文界は緊張していた。

当会でも当時「火星とUFO」との関連がとかく噂され、二年周期で地球に近づく年にUFOの目撃例が多いという研究者もいたので、チャンスめいたものを感じていた。

翌九月八日付の「神港新聞」(兵庫県神戸市)には、「大阪電気科学館」の著名な天体観測者、佐伯恒夫氏がローウェル運河を確認したという観測結果の公表記事が掲載され、火星人存在の有無がクローズ・アップされてきた。

翌日以後、当夜のUFO目撃報告が続々と寄せられた。神奈川県横浜市の池守氏からは、五人で青白い光を放つ平たい物体が頭上二百メートルぐらいの所を通過していったのを見たとの報告があった。また、都下北多摩軍の黒須氏からの、上部が緑で下部が真っ赤な物体が約十分間滞空したという目撃報告など、福岡、秋田(三件)等々、各地からの目撃報告が相次いだ。

が、なんといっても驚いたのは、千葉県銚子市の「日本天文学会」会員の滝田正俊氏からの不思議な金属片が落下したとの報告だった。

滝田氏は、報告書と共にその金属片のサンプルの五十倍の顕微鏡写真数枚を同封してきた。

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史 2000年11月3日発行 発行人 荒井欣一 18頁

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なるほどザ・ショールーム #2

s-荒井欣一UFOライブラリーにはどんな人が来ますか?

一般の人はもちろん、ここに来ればUFO関連の資料が全部そろうのでマスコミ関係の人がよく来ます。他にも外国の方などもよくみえます。ソ連大使館の人がUFO関係の資料を手に入れる方法を聞きにきたこともあります。近くに住んでいる、SF作家の星新一さんもぷらりとやってきたりしますよ。

UFO研究の道に入ったきっかけは?

昭和22年6月にアメリカでUFO目撃騒ぎが起きたんです。私は戦時中、下関航空隊少尉として航空力学の知識があったので、宇宙というより飛行物体そのものに興味をもったのです。以来、UFOにとりつかれて39年になりますが、私自身は今までにUFOを目撃したことが1度もないんですよ。残念だなあ。

UFOライブラリーの概要を教えてください。

昭和54年に開設しました。国内外の関係書籍が2000冊以上、写真類が約1000枚、他にファイル、ビデオ、CIA秘密文書のコピー、宇宙からの落下物、パネル、宇宙人の模型などの資料があります。日本テレビの矢追純一ディレクターが寄贈してくれた膨大な量の切り抜きなども置いてあり、会報の発行も。(終わり)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史 2000年11月3日発行 発行人 荒井欣一 113頁

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なるほどザ・ショールーム #1

s-荒井欣一1986年3月発行「まんが笑ルーム」からの記事です。UFO研究家 荒井欣一さんにインタビューしています。

一時にくらべ、UFOブームは影をひそめた感がありますが、まだまだ情熱を失っていないという人も多いのではないでしょうか?今回は、そんなUFO研究家の1人であり、自費で、世界唯一の「UFOライブラリー」を設立した荒井欣一さんにお話を伺いました。

去年1年間には、どんなUFO事件がありましたか?

1月に秋田で光体がたて1列に飛行、4月には酒田で青白い光がジグザグ飛行、7月には河内でUFOをカメラで撮影した人がいます。ソ連では円型の物体が目撃され、オーストラリア、フランスでも数人の人が目撃しています。また、アメリカではワシントン工科大学教授がUFOが墜落したと証言しました。

UFOの存在を認めない人も多いようですが?

軍事的に大きな意味を持ちますからね。情報公開が認められたアメリカで、最高裁まで争って非公開が認められたUFO関係の資料があるほどです。日本の公的機関はUFOの研究をしてはならないと、米国のCIAから通達されているといわれています。それで権威筋が認めず、世間に受けいれられないのです。

一般の人へUFO研究家としてメッセージを。

高名な天文学者に「実は私もUFOを信じているんだが、立場上、公にするワケには…」と言う人がいます。まあ仕方ないけど、UFO研究は単に不思議なものへの興味だけではなく、異星人との接触や宇宙を含めた世界平和のための、人類の21世紀へむけての研究なんだという点を理解してほしい。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史 2000年11月3日発行 発行人 荒井欣一 112頁

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宇宙平和のねがいをこめて #2

s-宇宙人03いま、荒井さんの家は、東京の五反田駅ちかく、五かいだてのビルのなかにある。四かい自宅、五かいには、「UFOライブラリー」をひらいている。日本でただ一つの、UFOの研究センターだ。

入場は無料。ただし、ひらいているのは、毎月の第二と第四日曜日。UFOにかんするそうだんにものり、ニュース誌も発行している。

こんど、わたしがおたずねしたら、1972(昭和47)年九月、高知市で子どもたちがつかまえたという、円盤の実物大模型をみせてくれた。

「学校のかえり道でね、団地の近くのたんぼを、とびまわっているのを発見して、友だちと観察し、写真をとろうちしたらしいんだけど、しっぱいした。これが八月すえのこと。

それから、こどもたちは、毎日まちつづけてね、とうとうつかまえて、しらべたんですって。おもさが、1.5キロ。直径が18.2センチだったというから、偵察用のUFOでしょうか。先生にみせようといって、ナップザックにしっかりいれて、かえったんだけど、家についてみると、ない。ザックの口のひもは、しまったままで、きえていた…。ふしぎなじけんですよ。」

荒井さんのセンターには、電話・手紙や、小学生が手書きでつくった雑誌もまじった、UFOの報告が、たくさんあるまってくる。

荒井さんたちの、日本空とぶ円盤研究会は、1957(昭和32)年に、「宇宙平和宣言」をかかげ、その活動もつづけている。

核兵器とミサイルにはんたい、そんなもので人類が絶滅してはいけない、宇宙人がやってこようというのに、はずかしいではないか、というものだ。わたしも、大さんせいだ。

UFOが宇宙機であるという証明ができるのは、いつの日かわからないけれど、宇宙平和宣言は、いつからだって、実現できるのではないだろうか。

「ことしもUFO110番といって、日をきめて、全国でいっせいに、UFOの観測をすることを計画していますよ。」

荒井さんは、まだまだ、UFOをみるというゆめを、すててはいない。(終わり)

参考文献  講談社 おはなし子ども新聞4 びっくりふしぎめぐり 日本児童文学者協会編 昭和57年7月10日 第1刷発行 68頁

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宇宙平和のねがいをこめて #1

北川幸比古さんが書かれた「きみはUFOをしんじる?」から一部抜粋した内容です。

1978(昭和53)年になって、UFOは地球の外からやってきた宇宙機である、というかんがえから生まれた映画、「未知との遭遇」が日本でもひょうばんになり、ふたり組みの女性歌手がうたう歌、「UFO」も大はやりした。

そんなときに、わたしはNHKテレビの朝の番組で、荒井さんをたずねる放送をした。

「荒井さん、その後、UFOをごらんになることができましたか?」

「いや、それが、まだなのですよ。」

荒井さんの顔はわらっていたが、すこしさびしそうだった。

「SF作家の星新一さんも、わたしがみたのなら、UFOのそんざいをみとめる、といってくれているんですけどね。」

UFOの資料でいっぱいのへや。そういう荒井さんのよこから、こんどは、おくさんのお話。「すきでやっていることですから、わたしも、やめさせるのをあきらめました。せめて、一度でいいから、大きなUFOをみせてあげたくて…。」

「ほんとうに、そうおもいます。わたしも、なにかあるんだ、空中か、地表にちかいところで観測されたもので、その実体がなにかわからないものが、そんざいするんだ、とかんがえているのですけれど…。」

とわたしは話した。これには、わけがあった

京都の大原の旅館のうら庭に、円盤が着陸した。そのときのあとがのこっている、というので、民間放送テレビ局のディレクターと、でかけていったことがある。

庭には、直径十センチ、ふかさも十センチぐらいのあなが、三つあった。

「そのなかに虫をいれてみたら、ころりと死んだんですよ。」

と旅館のおかみさんがいう。

わたしは写真をとろうとおもって、シャッター=スピードをきめる自動露出計つきのカメラのファインダーをのぞいた。ところが、なかのはりはゆれつづけていて、とまらない。

ではと、こんどはてきとうにスピードをきめて、シャッターをおした。が、なんとしたことだろう。シャッターがきれないのだ。

「こわれたのかな?」

あとで、カメラ屋さんでしらべてもらったのだけれど、どこもこしょうではなかったのだ。

着陸のしるしは、アメリカの報告にもある。おりたあたりの植物が、しおれたり、かれたり。あるいは、動物がおちつかなくなったり。そこから、ラジオ・テレビ・電線などや、自動車にこしょうがおきるという報告も、かずおおくあるのだ。(つづく)

参考文献  講談社 おはなし子ども新聞4 びっくりふしぎめぐり 日本児童文学者協会編 昭和57年7月10日 第1刷発行 68頁

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空飛ぶ円盤を拾った少年の話(遠藤周作さん) #3

s-UFO11それからこんなこともあったんです。別の日なんですが、彼らのひとりが、また同じような物体を田圃の中で見つけましてね。こんどこそは逃がすまいと思って大事に家に持ち帰り、家じゅうの鍵を全部締めて、その物体の穴に中に針金を通して、堅く縛って机にくくりつけ、これじゃ逃げられないだろうと思って外出したというんだな。しばらくして帰りその部屋の中を見ると、針金は元どおり、窓の鍵は全部しまっているのにかかわらず、その物体だけが消滅しているというんですよ。

そんなばかな話はないから、ぼくは信用しなかったんだけど、当人達は、まさに真剣そのもので話すんですね。

ぼくは彼らに「大人に言ったのか」というと、学校の先生に言ってもバカにされるし、新聞社に電話しても、てんで取り合ってくれないというんです。中学生達は「他の人に言ってもただバカにされるだけで、まったく信じてくれない」と憤慨しているんですね。

それでぼくは「今度、もしその物体が落ちてきたら、おじさんは何を差し置いても飛行機で駆けつけるから、それまで絶対確保しとけよな」と、彼らに約束して東京に帰ってきたんです。

帰ってから、ぼくはあわてて円盤に関する本をひっくり返してしたんだけど、空飛ぶ円盤というのはものすごく大きくて、草むらなどに降りてきたという記録はあるんだけど、こんな小さな円盤というのはまったくないし、まして拾ってバケツの水へ放り込んだなんて話はどこにもないんだな。

もし彼らがウソをついていなければ、その物体がなんであるかもわからないし、ましてなぜ消滅したのかもわからない。

ぼくは空飛ぶ円盤なんかあんまり信じたくないんだけど、この話だけは近ごろ奇妙な話だと思ってね。それがつかまったら、ぜひもう一度、化良へ行こうと思っているんですよ。

もっとも空飛ぶ円盤の専門家に言わせると、そんなことは当たり前だ、小型のものは偵察用で、それが消滅したのは、なくなったのでなくて、われわれが肉眼で見るとき、なくなったように見えるだけだと言うんです。

つまり、物体はあるんだけど、見えなくなったなどと奇妙なこと言うけど、ぼくにはそんなことさっぱり納得できないわけですよ。

むしろ、現在はツジツマが合いすぎるような世のなかで息苦しいから、ぼくはそういう信じられないというか、夢のようなできごとがあれば、どこへでもすぐに飛んで行こうと思っているんですよ。(終わり)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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空飛ぶ円盤を拾った少年の話(遠藤周作さん) #2

s-UFO11兄貴というのも同じ化良中学の生徒なんですが、たまたまそこにいた友達といっしょに、その場所へ駆けつけたというんですね。そこにはさっきの円盤みたいな形をしたものが、着陸というか、ころがっているというか、とにかく田圃の中にあるわけだ。みんあでそれをじっと見ていると、底のほうから青白い光がピーカピーカ光っているんだけど、それがなんともいやな光り方で、彼らは気味が悪くなって家に飛んで帰ったというんです。

それが、翌日同じ場所に行ってみると、あの物体がそのままあるんですね。二回目となると中学生達もいくぶん慣れて、それにブロック石をぶつけたりしたあげく、彼らのひとりがおそるおそるひろって家に持って帰ったわけです。そこへ友達を集めて、その物体の直径を測ったり、重さを測ったりしていたんだけど、不思議なことにその物体には底に穴が6つあいているだけで、継ぎ目がいっさいないというんです。だから分解しようにも分解できない。しようがないから金づちで思いっきりたたいたというんですよ。

でもそれはびくともしないばかりか、全然傷もつかないんです。今度はバケツに水をジャージャー流し込んだというんですね。そうしたら、カニのはうような音がして、またしてもピーカピーカと気味悪く光ったんです。

彼らはびっくりして、風呂敷に包んだ上ナップザックに入れ、その口にひもで堅く縛って、先生に見せようと自転車に積んで学校へ向かったんです。しばらく行くと、その自転車が後ろのほうへ引っ張られていくような感じがしたというんですね。

おかしいなと思って荷台を見ると、ナップザックのひもが堅く縛られているにもかかわらず、奇妙にもその物体が消滅しているというんですよ。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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空飛ぶ円盤を拾った少年の話(遠藤周作さん) #1

s-UFO11昭和49年4月6号「ノンノン」に遠藤周作さん(作家)が連載した内容の一部です。介良村を化良と原文のまま記載しています。

このあいだ、ぼんやりテレビを見ていたら、「空飛ぶ円盤の話」ってのをやっていたんです。そこで空飛ぶ円盤を拾った少年が実際にいて、それが一人じゃなく、なんと10人もいるということなんです。

それを見ていたぼくの心には、突然好奇心がムラムラ湧き上がって、抑えがたい衝動をおぼえ、すぐに飛行機を手配して、その少年達がいる高知の化良という町へ駆けつけましてね。まえもってぼくが行くと連絡しておいたから、その少年達が自転車に乗って出迎えて来てくれたんです。

彼らは化良中学の生徒でしてね。その中学生のひとりが家で、ぼくはいろいろ話を聞いたんだけど、これが世にも不思議な物語なんだなあ。

彼らの話を聞いていると、あまりにも突飛で、最初は彼らがウソをついているのではないが、集団催眠術にかかっているのではないかと思っていたんですよ。ところが彼らの顔を見ていると真剣そのもので、ウソをついている気配はまったくないんですね。とにかく信じざるを得ないような感じなんだな。

それは一昨年の11月のある日、化良の町の上空でキラキラ光るものが見えたのに始まったというのです。

雲の影とか飛行機なんかを円盤と見間違えた例なんてのはザラにあるので、その物体が円盤だと断定することはできないと思うんです。ところがおもしろいのはそのあとで、ある日、化良中学の生徒のひとりが田圃のあぜ道を歩いていると、直径10センチくらいの、ちょうど麦わら帽子のような形をしたものが、田圃の上をフワフワ浮いているのを見たというんだな。

それで彼はびっくりして家に戻り、兄貴に知らせたというわけ。(つづく)

参考文献 日本空飛ぶ円盤研究会 UFO関係記事(マイクロ写真撮影資料の一部)スクラップ記事

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