UFO研究家の荒井欣一さんが昭和55年「小説CLUB」8月号に掲載した随筆の内容です。
毎年、6、7月頃になるときまってUFOとか、幽霊とかの話題が世上を賑わすが、私にこの稿のお声がかかったのも、超常現象研究家の南山宏氏の時期を見はからってのリレーではなかろうかと思っている。しかし、丁度この時期は私にとっては願ってもない季節なのである。特にここ数年来、私は6月24日を「UFOの日」と自分勝手に決めて、毎年この日の前後にいろいろな催しものを行ってきている。少しでも多くの人にUFOを知ってもらいたいためである。
ところが、6月24日というのは一体どんな日なのだろうか。UFO研究家以外では知らない人が多いと思うが、私達にとっては、UFO元年というべき記念に日なのである。
この事件についての詳しいことは省くとして、要するにUFO、当時空飛ぶ円盤といわれていたが、いわゆるフライング・ソーサーという名称が電波にのって、世界中に拡散した日なのである。最近はこの「UFOの日」が近づくとマスコミのあちらこちらから、今年は何をやるんですかとお問い合わせがあるようになってきた。
こういうお尋ねがあると私は何も計画を持ち合わせていなくても、何かやらなければ悪いような気になってしまう。そこでついつい会社の忙しい仕事の合間を縫って動き出してしまうのである。したがって今年も、本誌が店頭に並べられる頃、ささやかな行事がUFOライブラリーを中心に行われている筈であり、また、地元五反田のデパートでも、その日の午後10日間位を特に提供していただいて店内に大型のUFO写真パネルを飾って下さることになっている。
最近では、「UFO」と言えばあまり詳しい説明をしなくても、子供さんからお年寄りまで「あ、空を飛んでいる不思議な物体でしょう、本当に宇宙人っているんですかね」位の知識をお持ちの方が多くなってきた。時代が変わればかわるものである。
私達が昭和30年、UFOの研究会を結成した頃は、それこそ、世人からウサンくさい目で見られていたに違いないと思う。先日、星新一氏の交遊録が単行本になったので拝見したら、その中に小生のことも、ほんの僅か紹介されていた。当時、氏は当会の会員であったが、氏でさえも、私が極めて普通の人間であることに驚きを感じておられるようであるが、UFO研究会は何か変人・奇人のあつまりのように世人は考えてきたのかも知れない。先号では南山氏が小生のことを大変な人格者だとおほめをいただいたが、それは私が実は普通の人と全く変わらないというパラドックスかも知れない。
ところで最近、小生の経歴が紹介されるケースが時々あるが、それが決まって、「わがUFO研究の草分け的存在」とか「UFO研究の元祖」とかはいいにしても、最も困るのは「UFO研究会の長老」と祭り上げられていることである。どうも長老という言葉は私には応しくないのではないか。長老となると7、80歳の白髪の老人を連想しがちである。実は私はまだ50歳半ばを一寸越したばかりであり、まだまだなのである。(つづく)
参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史