三島由紀夫とUFOの意外な出会い「葉巻型円盤を目撃していた!?」 #4

s-UFO14こうした三島が書いた円盤小説「美しい星」について、荒井さんは、「作品中に宇宙人一家が当時のフルシチョフ・ソビエト第一書記に核廃絶の手紙を送るくだりがあるが、それは当会が実際に行った事を下敷きにしているのではないかと思う。また宇宙船を「宇宙機」と書いてあるが、これは私の造語で機関誌のタイトルからの引用でしょう」と指摘する。

三島と親交のあった文芸批評家、奥野健男さんは、「三島の円盤好きは仲間内では有名です。会えば、円盤やお化け、冒険談ばかりしていた。むしろ文学や思想の話なんてしませんでしたよ」と笑う。さらにこう続ける。「三島は円盤の実在を信じてましたね。三島や僕らの世代は子供のころから、空想小説や冒険記、怪奇物に接してたから、(円盤好きも)そうしたことの影響かもしれない。また「美しい星」のラストシーンは、主人公が円盤で飛び去ることを暗示しているが、三島には「空飛ぶ円盤で別世界とつながる」という考えはなったかもしれないですね」

さて、三島は結局円盤と遭遇できたのだろうか。奥野さんは、「会えなかったときいてる」と振り返る。また、三島自ら「美しい星」を紹介している一文に、「自宅の屋上で、夏の夜中、円盤観測を試みたことも一再にとどまらない。しかし、どんなに努力しても、円盤は現れない」と円盤発見の「断念宣言」をしているのだ。

三島ファンとしてはぜひ、UFOの観測に成功し、同氏の筆で書きとめてもらいたかったところだ。しかし、「目撃成功」ともとれる文章も残している。それは月刊誌「婦人倶楽部」(講談社)のエッセーで、三島が35、6歳の時に書かれたものという。

三島は夫人と共に自宅屋上で円盤探しをした話をまず紹介。「…妻が、『アラ、変なものが』と言った。見ると…薬のカプセルによく似た形で…西へ向かって動き出した…円盤にも葉巻型というのがあるのを知っていたから、それだなと思った」と目撃談を載せている。三島が円盤を見ることができたのかどうか、いまとなってはわからない。

しかし、三島は円盤観測仲間の作家・故北村小松氏の弔文(朝日新聞64年4月30日付け)に、「北村さん、私は今あなたが、円盤に乗って別の宇宙へ行かれたことを信じている」と記しているのだ。いわゆる空飛ぶ円盤が実在するかどうかは今もってはっきり分からない。それでも、天才・三島由紀夫が「UFO」の飛来を信じ、ロマンをかきたてていた事実は動かない。三島とUFO。興味は尽きることがない。(終わり)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button

三島由紀夫とUFOの意外な出会い「円盤研究会の熱心な会員だった!」 #3

s-UFO14そして、三島は57年6月の同会の円盤観測会にさっそく参加。双眼鏡を熱心にのぞきこみ、東京の空に円盤を探し続けた。荒井さんは、「ほかにも有名人の入会はあったが、会費だけという人が多かった。三島さんは観測会に参加するほど熱心でした」と懐かしそう。

この入会をきっかけに、三島はあちこちで円盤について書き記し、話している。まず、前述の円盤研究会に寄せたエッセー「現代生活の詩」を紹介しよう。

これからいよいよ夏、空飛ぶ円盤のシーズンです。去年の夏は、熱海ホテルへ双眼鏡ももって行って、毎夜毎夜、いはゆるUFOが着陸しないものかと、心待ちにのぞいてゐましたが、ついに目撃の機会を得ませんでした。その土地柄からいっても、ヘタに双眼鏡に凝っていたりすると、疑はれて困ります。世間はなかなか高遠なる趣味を解しません。

宇宙に関するファンタスティックな趣味は、少年時代、稲垣足穂氏の小説によって養はれたもので、もともと科学的素養のない私ですから、空飛ぶ円盤の実在か否かのむづかしい議論よりも、現代生活の一つの詩として理解します。

今年の夏は、ハワイからアメリカ本土をまわる予定ですから、きっと円盤に遭遇するだろうと、今から胸踊らせてゐます。南十字星なんかより円盤の方がずっと強く、私の旅へのあこがれを誘うのであります。

以上が全文だが、UFOを「現代の詩」というあたり、ロマンチストぶりがうかがえるではないか。では、このアメリカ旅行の成果はどうだったろうか。帰国後、周囲に、「僕は円盤を信じている。アメリカは日本よりしばしば現れるらしいが、とうとう会わずじまいさ。そのために旅客機も夜の便を選んだりしたんだが…。」ともらし、残念がったという。旅客機をあえて夜の便にするなど、円盤に対する想いの入れ方は相当な感じがする。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button

三島由紀夫とUFOの意外な出会い「円盤研究会の熱心な会員だった!」 #2

s-UFO14実は三島作品の中には宇宙人を主人公にした「美しい星」という小説がある。「仮面の告白」「午後の曳航」「豊饒の海」などの代表作の陰に隠れ、あまり目立たないが、「美しい星」は唯一のSFチックな作品なのだ。「美しい星」は62年に月刊誌に連載された長編小説で、三島37歳の作品。

あらすじを説明すると、埼玉県飯能市に住む資産家一家4人が円盤を目撃したことから、自分たちが宇宙人だったことに気付く。さらに人類を核戦争などの破壊から救うため平和運動に邁進する。これに対し、地球破滅を目指す別の宇宙人グループが登場。資産家一家の父親(火星人)とこのグループで人類の救済をめぐり激しい論争を展開するというものだ。

主人公が火星人、木星人、水星人、金星人の一家というのも三島作品の中ではかなりの型破りだが、発表当時は、「現代人、現代史批判として読み応えがある」「独創的な政治小説」と好評だった。

だが、天才の独創にも秘密があった。「随所に当会の影響がみられます」と話すのは、日本空飛ぶ円盤研究会の荒井欣一代表だ。荒井さんは、「三島さんは実は当会の会員だったんですよ」と明かす。

同協会の発足は55年7月。結成から約1年後に、荒井さんの自宅に一本の電話がかかってきた。「もしもし。円盤研究所ですか。入会したいのですが…。」と男性の声に、荒井さんが入会申込書を送付する旨を告げ、おもむろに名前を尋ねると、「三島由紀夫です」と答えたという。よもやいうが、まもなく返ってきた入会書には、「文士 三島由紀夫」と鮮やかに書かれていた。荒井さんは、「有名な作家でしょう。びっくりしました」と、当時の興奮を振り返る。三島の会員番号は「12」。同会は以降、五百人以上の会員を集めるが、この会員番号から三島が初期の会員だったことがわかる。三島が32歳の時のことだ。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button

三島由紀夫とUFOの意外な出会い「円盤研究会にエッセーを寄稿」 #1

s-UFO14「サンデー毎日」1993年12月5日付けに掲載された内容です。

「えっ。三島と空飛ぶ円盤?それは初耳です。それにこんな資料や写真は見たことがない」三島の死の直後から追悼会「憂国忌」を毎年主催している「三島由紀夫研究会(本部・新宿)の三浦重周さんは、驚きの声を上げた。

三浦さんが見た写真と資料は日本空飛ぶ円盤研究会が保存していたもので、写真は1957年6月、東京・日比谷のビル屋上で円盤観察をする三島の姿をとらえている。資料は同協会の機関誌「宇宙機」13号(57年7月発行)に三島が寄稿「現代生活の詩」と題したエッセーだ。このエッセーの中身は後で述べるとして、三浦さんは、「三島先生がUFOに興味を持っていたとは知らなかった。先生は論理的、哲学的な方だとばかり思っていたが、円盤という荒唐無稽な物にも熱心だったんですね。ちょっと意外でしたね」と驚きを隠さない。

三島由紀夫研究会は、1971年から現在まで三島研究の連続講座を170回開き、現在も続けている。テーマは三島の思想、作品など多岐にわたっているが、「UFOに触れた講座は23年間、1回もなかった。今後、検討しなくてはいけませんね」と言う。

三島の事跡に詳しい同会事務局の正木和美さんは、「三島さんが円盤観測会に参加した記録はあったが、くわしいことはわからなかった。こんな写真があったんですね」と感心しきりだった。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button

「ムー創刊号」総力特集【異星人は敵か味方か?】#3

s-ムー創刊2(南山)そうですね。第二次大戦後に北欧で、悪天候の中を飛行機のかっこうをしたものが平然と飛んでいるのを見たという報告がありました。当時の地球上の技術では考えられないことだったそうですよ。では、このあたりでずばり「異星人は敵か、味方か?」をまとめていただくと、どうなるのでしょうか。

(高梨)私は繰り返し言ってきたように、異星人そのものには地球人と同じように良いものもいれば、悪いものもいるだろうと思う。しかし、彼らが今やっていることは、地球や地球人についてくわしく調べるための偵察・探検の段階だと考えています。幸い、今のところ侵略的であると判断する資料はないと思います。

(石森)私は、異星人は地球に対して無関心だと思っています。ですから、敵でも味方でもない。彼らがやってくるのは、他の星などへ行く途中の中継地として利用するためだけでしょう。地球人の側に被害が出たりしているようだけれども、それはいわば、人間もアリをときには故意に踏みつぶすけれども、ふだんは気にもとめないという状態と同じだと思っています。

(韮澤)私の考えは、地球には宇宙のすぐれた文明が入ってくることに対して、強く抵抗しようという姿勢の人たちがいる、そこで、それをやわらげ、宇宙に通用する考え方を地球人がとるようにするため、異星人たちは協力しているのだと思っています。

(南山)私も、私の考える異星人は地球を観察しているという考えを発展させて述べておきます。つまり、歴史上すぐれた文化と低い文化はつねに滅んできました。今、すぐれた文化を持つ異星人は、そのことを十分承知して、地球の文化の行く末を見守っているのだと思います。そのため、あえて地球との接触はさけているわけで、もし交流を求めたいなら、国連へでもあいさつに行くことが、本来のやるべきことであり、やろうとすれば簡単なことでしょう。(終わり)

参考文献 学習研究所 ムー創刊号

Share Button

「ムー創刊号」総力特集【異星人は敵か味方か?】#2

s-ムー創刊2(南山)いや、異星人は地球のことが全部わかっているんですよ。私が観察というのは、地球人の文明がどういう方向に進むのかについての観察ということなんです。むしろ監視というべきでしょう。今は、地球人が核戦争や公害で自爆してしまうのかどうかが観察の重要なテーマでしょう。もっとも、、観察しているからといって、地球が自滅していくのを助けたりはしてくれないでしょうが…。

(石森)しかし、また方法がどれも同じようで幼稚ではないですか。

(南山)それは、観察しているということを地球人に示すためとも言えるでしょう。あるいは、宇宙のうんと進んだ科学を地球人に見せつけて、地球人がまちがった方向へ進まないようにしながら、一方で少しずつ進んだ科学を知るためのヒントを与えているのだとも考えられます。

(韮澤)そう言えば、北アメリカに100年ぐらい前にプロペラ付きUFOが現れたことがあったでしょう。あれなども、以後人類が飛行機を発明することのヒントになったかもしれませんね。

(石森)すると、もう少ししたら空飛ぶ円盤のようなものが飛ぶということだ!しかし、なかなか円盤型のものができてこないですね。

(南山)異星人が期待しているほどの速度で地球人が進歩していないのかな。(笑い)

(高梨)これは円盤の飛行原理が分からぬ限り、形だけまねしてもだめだということでしょう。

(石森)逆に考えて、異星人は地球人の持っているものの形に似せたものを作って、それに乗って来ている場合もありそうですが…。

(高梨)たとえば飛行機に似せてとかですね。(つづく)

参考文献 学習研究社 ムー創刊号

Share Button

「ムー創刊号」総力特集【異星人は敵か味方か?】#1

s-ムー創刊2ムー創刊号の総力特集のみだしについて、韮澤純一郎氏、高梨純一氏、南山宏氏、石森章太郎氏が対談を行っていますので、その内容を紹介します。

(司会)異星人は地球人の敵なのでしょうか。このことは、異星人の地球訪問の目撃と結びつけて考えるのがよいと思いますので、「異星人の地球訪問は何か」ということから議論を始めてください。

(高梨)私の考えは、異星人は現段階では探検や偵察が主体ではないかと思うのです。もちろん、一部には何かの資源を手に入れるために来たものもあるかもしれないし、将来の侵略を目標にして偵察に来ているものもあるかもしれない。しかし、UFOさわぎが起きてからこの30年と少しの傾向を見るかぎり、一定の方針に従って、体系的に偵察が行われているように思えます。

(石森)しかし、私はまったく計画的じゃないように思いますが…、ちょうど人間が実験材料のサルなどをつかまえるときのように。異星人にとっては、そのていどの関心でしかないと思うんです。

(高梨)一見無計画のように見えるかもしれない。それでも、それらの事例を全部ならべてみると、随分多くの例についていろいろな調査方法を使って調べているように思います。ですから、やはり探検が行われていると思います。

(南山)私は、探検などというものではなく、地球人のやることは全部わかっているけれども、特別干渉もしないというのが基本的な彼らの態度だと思っています。もっとも、現在の地球人のように宇宙まで飛び出すようになると、彼らのほうでもいろいろと利害が生じてくるので、もう少し積極的に対応を始めているということにはなってきているようです。そこで私は、高梨さんのように一つの言葉でいうなら、観察と実験が行われていると考えています。

(石森)観察にしては、いつまでも人間のことがわからなすぎると思いませんか。(つづく)

参考文献 学習研究所 ムー創刊号

Share Button

日本初のUFO110番開設記「目撃報告の主なもの」#5

s-UFO12今回、東京のライブラリーだけで、3月16日から月末までに300件以上の電話を受け、そのうち90件は小・中学生からの質問だった。高卒以上の人の質問は意外に少なく30件程度。内容は、目撃報告が90件、それに予想もしなかったイタズラ電話やふざけ電話が60件以上にのぼっただろう。私はじめスタッフ一同もこれには手を焼いたが、今後こういった不まじめな電話が減っていくことを願うしだいだ。

東京へのUFO目撃連絡のなかで主なものは次の通りだ。とくに調査に出かけなければならないほど、変わった事件はなく、その点は残念だった。

①佐賀県唐津市の相場さんが、昨年1月午前10時ごろ、銀色に輝く大きな円盤型物体を目撃、物体は1,2分間も滞空していたので、大勢の人が目撃したという。近くでテレビロケが行われていたが、ロケ隊は気付くのが遅く、撮影できなかったそうだ。

②伊豆半島東海岸の先端、爪木崎付近にある灯台公園管理人のSさんが、昨年12月17日午後4時すぎ、西南の海の海上に不思議な飛行物体を発見。肉眼で見ると、Uの字を横にした型をしていた。早速、カメラを持ち出して2枚撮影したという。至急その写真を送ってほしいと依頼したところ、数日後にモノクロのネガとキャビネのカラープリントが届いた。

キャビネ版に伸ばした写真を見ると物体は夕日に映えて桃色をしており、ドーナツを二つ重ねて一部を切り取ったような不思議な形をしていた。ジェット機の急旋回による飛行機雲の一種かとも考えられる。

③今年1月29日、午後5時から6時までの間の出来事。神奈川県は辻堂海岸付近の国道を、16歳の少年が友人と二人でドライブ中、海上にあった二つの光が一つに合体して、車に近づき、車のほぼ真上を通過して飛び去った。

その物体は、面は透明に近く、ワクはあるがグニャグニャした奇妙な形をしており、なんとも薄気味悪かったという。湘南海岸における異常物体の目撃はここ数年ひん発しており、私の友人などは、藤沢市の大清水海岸寄りにUFOの基地があるらしいといっている。今後、充分注意したい所だ。

④今年1月末の午後3時ごろ、横浜市本牧に住む若夫婦が、3個の明るい球体を発見した。球体はU字形編隊で5回出没している。したがって二人は、計15個の物体を見たことになる。

さらに変わったことには、両端のふくらんでいるいわゆる鉄アレイのような物体が、回転しながら北から南に向かって飛行していたということで、これだと東京都心から南方海上に抜けたことになる。奥さんはアメリカの大学でUFOの講義を受けたことがあるという。見当違いの可能性は、まずないとみていいだろう。

日本のUFO研究をアメリカの水準まで高めるには、今回の試みでも分かるように、UFO問題を取り巻く厳しい現実を見据え、努力と研さんをさらに積む必要があるのではないか。私はそう強く心に感じたものだ。(終わり)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button

日本初のUFO110番開設記「UFO報告はライブラリーへ」#4

s-UFO12UFO110番の応答を通じて感じたことの一つは、前述したとおり、一般市民の間には、UFOに対する根深い偏見があるということである。

とくに東北の山村地域でこの傾向が強く、長い間、自分の目撃を親兄弟、友人にも話していないという人が多かった。「UFO」という言葉を口にすることさえ危うくしている人が現実にいたことも、新発見であった。

電話を通じてまじめに聞いてもらったことで、非常に感謝している人もあり、なんとなく、彼らのストレス解消に役立った面があったようにも思ったものだ。

北海道の果て宗谷からも、また沖縄からも、UFO目撃の連絡が続々と入り、費用のかかる長距離電話で詳しく報告してきた人も少なくなかった。東京よりも、むしろ地方在住者からの電話が多かったことは特筆に値する。

なお、これまではUFOを目撃しても、どこへ報告していいのかわからなかったという人も相当数いた。新聞社とか天文台とか警察などへ連絡しても本気で取り合ってくれなくて困っていたという人もいる。そこで今後は、当ライブラリーあてに一報してくれることをお願いしておいた。

実は、東京天文台にも、しばしばUFOを見たという連絡が入るそうだが、担当者はUFOについての知識があまりなく、大変困ることが多いと聞いた。そこで私は東京天文台を訪れ、今後UFOについての報告が天文台に寄せられた場合は、すべて当ライブラリーに電話をかけ直してもらうよう頼んでおいた。

今後は、当ライブラリーで、東日本における目撃報告の集中化を図りたいと考えている。これから入ってくる情報の整理、調査に関しては、早急に対策を講ずるつもりだ。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button

日本初のUFO110番開設記「テレビ放映後活況を呈す」#3

s-UFO12さて初日の3月21日は、もう午前10時前から電話がひっきりなしに鳴りだした。頼みのスタッフはまだ来ず、妻と二人でアタフタしていたところへ、志水一夫君が来てくれた。早速、応対してもらって一時をしのいだ。その後、南山宏さんをはじめ、スタッフが続々つめかけ、これでひと安心と胸をなでおろしたのだ、時折かかってくる電話には、スタッフが順番制で回答した。

この間、私をはじめ各スタッフは、取材陣と一問一答。実況中継もあり、ほかに「FM東京」「岐阜放送」「RKB放送」などのラジオや「UFOと宇宙」「ムー」「週刊大衆」(2日間通し取材)が、当日の様子を取材していった。

ところが、第1日は予想に反して低調。各スタッフもいささか拍子抜けの態であった。3台目の増設電話のベルが鳴ったのは、1、2回程度だったと記憶している。

翌3月22日は、前日の低調さにもかかわらず、午前10時前からスタッフがぼつぼつ集まってきた。テレビ朝日ニュース報道班のスタッフ4人も10時ごろ来館し、館内の様子や電話応答の状況などを長時間にわたって取材していった。この日は、スタッフの一人として菲沢潤一郎氏も参加、待機してもらったが、前日同様、さっぱり電話がかかってこない。

ところが、テレビ朝日が午後5時半のニュースで、先に取材していった内容を約2分間流した時から、事態は一変した。

3台の電話は、ほとんど同時に鳴りはじめ、ベルの音が館内に響き渡り、一気に活気を取り戻した。スタッフは、次から次へとかかってくる電話の応対にてんてこまい。テレビニュースを見る余裕もないほどで、しばらくは館内も騒然となったが、約30分くらいで、ようやく電話ラッシュも落ち着いた。テレビの威力に、改めて驚嘆したものだ。とにかく、やや低調気味だったUFO110番も、最後にきてその面白を保ったといえよう。(つづく)

参考文献 UFOこそわがロマン 荒井欣一自分史

Share Button