雑記帳(毎日新聞)

s-気球毎日新聞(昭和63年10月4日付け)の雑記帳でUFOの話題を取り上げています。

「あれっ、UFO?」名古屋市東区で3日午後、正体不明の黒い物体が空にプカプカ浮かんで大騒ぎに。毎日新聞中部本社にも「あれ、何でしょう?」と問い合わせの電話が数本。

よくよく調べてみると、同区の矢田中学校体育大会で使った「アドバルーン」と分かり、「何だあ」。直径約2メートルの黒いビニール・ゴミ袋製で、生徒が応援用に作ったのが、ヒモが切れてしまったらしい。

同校では「混乱しては」と東署などにすぐ届け出たが、生徒たちは高く舞い上がる「気球」に、一時、競技を中断し追っかけたほど。みんな夢見心地で楽しそうだった。

参考文献 毎日新聞(昭和63年10月4日付け)

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光星ビルの建設とUFOライブラリーのオープン

s-荒井欣一氏TOmagazine品川区特集号の荒井欣一さんの記事をもう少し紹介します。

この空前の第二次UFOブームの中で、荒井のUFO人生も第二のピークを迎える。かつて質屋が存在し、古書店を営んだ五反田の土地に、5階建ての「光星ビル」を建設したのだ。さらにその5階には過去30年に渡って収集した、膨大な書籍と資料を展示する、世界初の「UFOライブラリー」をオープンしたのである。初日には行列をなす程の人々が集まり、NHKはじめマスコミも殺到。荒井の名は海外でも報じられた。そして、80年代には、アメリカでもUFO問題が再燃し、ロズウェル事件の新事実や、エリア51の暴露、MJ-12の発見など、新事件が続出。それを日本テレビのUFOディレクターこと矢追純一が特番で放送し、大ブームを巻き起こした。戦後から40年、かつて五反田の片隅でそっと語られた聞きなれぬ言葉は、いまや全国のお茶の間の話題にまで上り詰めたのである。世間はバブル景気に浮かれ、UFO、オカルトブームが席巻し、日本中が世紀末に向けて、奇妙な熱気の渦に包まれていた。

しかし、この空前のブームは唐突な形で終焉を迎える。きっかけは1995年3月21日、オウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件である。調査によりオウム真理教の施設では、疑似科学に基づいた修行や、超能力開発が日常的に行われていた事が判明。教団はノストラダムスの世紀末予言や、ニューエイジ系出版物の理論を教義に援用し、信者を洗脳したと報道された。

もっともUFOや宇宙人は表面的にはオウム事件とは無関係であり、この時、CBA事件を思い出した者さえ少なかっただろう。しかし、オウム事件の2年後、今度はアメリカでヘヴンズ・ゲート事件が起こると、世間ではUFOも超能力も大予言も等しく「いかがわしいもの」として、人々は眉をひそめた。サリン事件とほぼ同時期、荒井はビルの3階に新たに「UFOショールーム」をオープンしたが、訪問者は少なく、「オウムが強調する超能力とUFOが、混同されているみたいですね。」と、週刊朝日のインタビューで残念そうに語っている。

参考文献 TOmagazine品川区特集号

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月曜から夜ふかし

外観2014年10月13日放送 21:00 – 23:00 日本テレビ

月曜から夜ふかし 秋のご当地問題大収穫スペシャル

営業努力とは裏腹に浮かばれない施設が数多く存在する。「UFOふれあい館(福島市)」は、UFOの目撃情報が多かった旧飯野町が町おこしのために作られ、玄関には「ムー」全巻が置かれ、CIAの機密文書など貴重なコレクションが展示されているほかUFOを呼び寄せるというピンカラ石を入れた「展望風呂」が地元客に人気だが、石を入れるのは保健所から認められなかったという。

UFO研究家の荒井欣一さんは、UFOを科学的に解明しようとした人です。反面、科学が遅れているから、オカルト的なことにも目を向ける必要があるという人もいます。しかし、四次元、ワープならいいと思いますが、今のところ、テレパシーとか言われるとちょっと違う感じがします。

CIACIAの秘密文書は、荒井欣一さんのUFOライブラリーの資料です。アメリカ人から入手と聞いています。内容は、UFO目撃から聴取したUFOが飛んできた方角等(飛行パターン)が書かれていると言われています。

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福島の美味しいもの食のフェア IN 福島競馬場

s-Tシャツ平成26年10月11日(土)と翌12日(日)福島競馬場において、「福島の美味しいもの食のフェア」が開催されます。このイベントに、飯野町振興公社(UFO物産館)も参加し、ほだほだボール・んだんだボールを販売いたします。時間は、午前10時から午後4時30分までとなっております。会場は、福島競馬場ですので、お運びください。

なお、出展者は40事業者です。UFO物産館は、スタッフが上記の黒のTシャツを着ていますので、目印になさってください。お待ちしております。

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民報サロン(二足のわらじ)

飯野町振興公社の代表取締役が民報サロン(福島民報平成26年9月24日付け)にUFO物産館についての記事を書いていますので、紹介します。

「二足のわらじ」 川島 博

二年前の春、予期しないお話を頂いた。福島市と飯野町との合併で市の所有となった、千貫森UFOふれあい館・UFO物産館などの指定管理会社「飯野町振興公社」の代表就任を打診されたのだ。「なぜ私に」との思いがあったが、受ける決心をした。本業の会社経営が大変な時期に、畑違いの会社を抱え込む不安は大きかったが、受けたからには成果を出さなければならない。苦悩の幕が開けた。

今回は食堂と土産品を扱うUFO物産館についてご紹介したい。就任した時は、三年前の東日本大震災の余波で客数が半減し、以前の水準までお客さまを呼び戻すのは難しいと思えた。豊かな自然と素晴らしい眺望が魅力だが屋外を使えないもどかしさがあった。建物内でのサービスに絞り、売れないものを見直した。その筆頭がコーヒーである。コーヒー豆を確認して、売れない理由が分かった。もっと香りの高いコーヒーが欲しい。頭に浮かんだのが、飯舘村で抜群の顧客を得ていた椏久里珈琲(あぐりコーヒー)であった。

以前から客の一人であり、自家ばいせんコーヒーの素晴らしさは知っていた。このコーヒー豆を使えたら、状況が一変する自信があった。意を決し社長に直談判した結果、提供を承諾してくれた。しかも、コーヒーのいれ方まで教えていただき感謝している。社長を通じ、飯舘村の「までい」の心に触れた気がする。椏久里珈琲の威力は予想以上で、日に日に館内のにぎわいが戻ってきた。「皆、うまいものを求めている」と感じた。その実感を糧に、ラーメンスープの再生に取り掛かったのである。挑戦の始まりだ。

私の嗜好(しこう)によるが、最後の一滴まで飲み干せるスープは、鶏出し(だし)が一番だと思う。鶏の持つふくよかな香りと嫌みのない脂のうま味は鼻腔(びこう)をくすぐる。そして目標は、二種類の地鶏を使った「ダブル地鶏スープ」。地鶏のうま味を引き出すことがポイントだが、それほど難しいとは思っていなかった。

しかし考えが甘かった。できたスープは、とても満足のいくレベルではなかった。何が足りないのか、何が余計なのか。それから試行錯誤が続いた。食材の変更、火加減、分量調整などを試すたびに、スタッフの焦りが伝わってきた。それを尻目に「観光地ラーメンからの脱却」を掲げ、あえて叱咤(しった)激励し続けた。それから数週間後、彼らの努力によって徐々にレベルが上がり、ついに琥珀(こはく)色に澄んだ、納得のスープが完成した。

お客様の反応が心配だったが、次第に「おいしい」の言葉を聞くようになり、注文が増えた。おかげで、千貫森全体のにぎわいが戻り、正直ホッとした。ラーメンは嗜好品。私がうまいと言っても、まずいと感じる方も当然いる。現状のレベルで満足することなく、さらなる努力が必要だ。味に頂点はない。継続が肝心だ。目標を共有する仲間と挑戦できる幸せをうれしく思う。毎日食べても飽きない、私好みの一杯に出会えるのだから、ラーメンオタク冥利(みょうり)に尽きる。今、スタッフの笑顔を思い浮かべて思う。「二足のわらじ」も悪くないと。

参考文献 福島民報(平成26年9月24日付け)

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長寿の心得(人生は山坂多い旅の道)

s-長寿の心得この詩は、UFOふれあい館の大広間に飾られています。

すごくユーモアがあって、それでいて有難みを感じる奥の深い詩だと思っています。タオルなどにこの詩が書かれて売られているようなので、御存知の方も多いと思いますが、UFOばかりでなく、このような詩も飾られている憩の場であることを知っていただければと思って紹介しました。

還暦 六十才でお迎えの来た時は 只今留守と云へ
古希 七十才でお迎えの来た時は まだまだ早いと云へ
喜寿 七十七才でお迎えの来た時は せくな老楽これからよと云へ
傘寿 八十才でお迎えの来た時は なんのまだまだ役に立つと云へ
米寿 八十八才でお迎えの来た時は もう少しお米を食べてからと云へ
卒寿 九十才でお迎えの来た時は そう急がずともよいと云へ
白寿 九十九才でお迎えの来た時は 頃を見てこちらからボツボツ行くと云へ

気はながく 心はまるく 腹たてず
口をつつしめば 命ながらえる

最後の文章にはちょっと工夫があります。「気」という字の最後の部分が長くなっていたり、「心」という字は丸く書かれていたり、「腹」という字は横向きになっていて、「口」という字は小さめです。そして、「命」という字の最後の部分はすごく長く書かれています。

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中国のUFO「犯人」は日本のH1ロケットだった

010701sonota388-transサンケイ新聞(昭和62年9月7日付け)の記事です。

中国の上海に8月27日夜、UFO(未確認飛行物体)が飛来、大騒ぎとなったが、結局、日本が種子島の宇宙センターから打ち上げたH1ロケットが犯人と判明した。

北京放送によると、米テキサス州の宇宙学者がこのほどワシントンの中国大使館に書簡を送り、「日本が打ち上げたロケットが宇宙空間で切り離した燃料の燃焼によって引き起こされた現象」と指摘した。

UFOは多数の市民が目撃、一部地域ではどういうわけか停電となり、人々の腕時計も大部分が停止した。(中国通信 共同)

参考文献 サンケイ新聞 昭和62年9月7日付け(スクラップ資料)

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UFO墜落と異星人の謎「MJ-12」

010301nori014-transこの事件の発表は、1988年イギリスのUFO研究家ティモシー・グッド氏によって発表され、イギリスの新聞オブザーバー紙はこの問題を大きく取り上げました。

ティモシー・グッド氏によって入手された最高機密書類によると、約40年前、アメリカの政府機関の手で、墜落したUFOから4体の異星人の死体が発見され、解剖したというのです。

異星人の解剖に当たったとされる調査機関のコードネームは「マジェスティック-12」と呼ばれる秘密機関で、トルーマン大統領の署名もあり、この期間の成立経過についても詳しく書かれていました。「MJ-12」は12人の米国政府高官等がこの事件に関与しており、科学者等も含まれていました。

その中の一人艦隊司令長官ロスコー・ヒイレンケッター海軍大将は、この異星人について、「これらの生物は、外見上人間によく似ているが、生物学的又は進化論的な発達過程はホモサピエンスとは明らかに違っている。」と報告しています。

なお、グッド氏の機密書類とは、1952年11月18日付け次期大統領アイゼン・ハウワー氏へのブルーフィング・ペーパー(要領書)でした。この文書には、次のように書かれていました。

「1947年7月7日、発見されたこの物体の残骸を確認し、秘密の解剖を科学的な研究のため始めた。それらは、飛行物体の発見された地点からおよそ2マイルのところで発見されて、4体全て死亡しており、捕食動物などに食べられたして、ひどく腐食していた。」

参考文献 NTTUFOテレフォンサービスで1989年4月1日から15日までの間、情報提供されたものです。

 

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空を見上げていた男(TOmagazine品川特集号記事)

s-002以前、TOmagazineという雑誌の取材があったと記事を書きましたが、その雑誌が発売になりました。内容は、東京五反田の特集で、五反田に住んでいたUFO研究家の荒井欣一さんのことを記事にしたというわけです。

ムー編集長の三上丈晴さんに対する荒井さんについてのインタビュー記事が掲載されていますので、一部紹介します。

「荒井さんの光星ビルがあったのは、東五反田ですね。私もずいぶんお世話になりましたよ。初めてお会いしたのはムーに入ってからだけど、もちろん子供の頃から知ってました。」

2014年7月某日、私は五反田に位置する学研ビルのムー編集部にいた。1979年に創刊された月刊ムーは今年で創刊35年を迎える、日本ではほぼ唯一のオカルト専門誌である。しかし編集部はオカルトという言葉の薄暗い雰囲気とはほど遠い、五反田を一望するモダンな高層ビルの中にある。編集部の三上丈晴は続けた。

「荒井さん、軍人あがりだから本当に凄いんですよ。例えばUFOがレーダーに映ったってなるでしょ。そしたらパラボラアンテナの回転数が大体このくらいだから、その間に物体が動いた距離はこのくらいのはずだ、っていう風にもう厳密に計算するわけですよ。今のUFO研究家とは全然レベルが違う。とっても真面目な方だったから、冗談でUFOをちゃかすようなことを言ったら、怒られたりなんかしてね(笑)。荒井さんはいつもビシッとしてましたね。本当に紳士な方だった。」

古くから交通の要衝として栄え、今日もソニーや日立製作所、キャノンといった国際企業が立ち並ぶ品川。戦後の焼け野原から高度経済成長時代、そしてパブルへと至る復興の激動時代の中心にあったこの商業の街で、人々はより良いもの、より良い生活を求めて仕事に邁進し、急ぎ足で駆け抜けてきた。しかしそんな激流の真っただ中で、ただ独り立ち止まって、空に見上げていた男がいた。やがてその男の周りには人だかりが生まれ、彼らも同じように空を見上げ始める。その中心にいた男の名を、荒井欣一という。

参考文献 TOmagazine品川区特集号

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テレビ東京「私の昭和史」(7)円盤を見てみたい

010301nori019-trans「今日も円盤は飛ぶ UFOを追って」 放映 昭和48年3月27日
聞き手 三国一朗氏
ゲスト 日本空飛ぶ円盤研究会代表 荒井欣一氏

(三国)荒井さん自身UFOを見た事はありますか。

(荒井)見たいと思って会社の行き帰りに、特に夜などは注意して見ているのですが、未だにお目にかかったことはありません。

(三国)荒井さんはUFOを見ておられないが、御覧にならないのに信じるというお気持ちはどうなのですか。

(荒井)要するに科学者、天文学者、宇宙飛行士の方たちが結構UFOを目撃したり、写真を撮ったりしています。こういう事例はかなり多くあります。その人たちは、これによって儲けようとか、有名になろうとかは恐らくないでしょう。したがって、本当の真実を言っているのではないかと思います。

(三国)今、情報時代と言われていますが、こういった情報が世界中各地にあるわけで、それを高度な分析なり、研究が高度に進んでいくと思うのですが、国際的な交流はありますか。

(荒井)特別に国際的な交流はありませんが、その内に交流したいと思っています。

(三国)会社に勤めながらの研究は大変だと思いますが、今後の研究会の計画はいかがですか。

(荒井)今若い人たちのグループが熱心に円盤の研究をし出したので、その人たちの後援をしていいければと思っています。(終わり)

参考文献 ロマンを抱いた我が人生 荒井欣一自叙伝

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