北川幸比古さんが書かれた「きみはUFOをしんじる?」から一部抜粋した内容です。
1978(昭和53)年になって、UFOは地球の外からやってきた宇宙機である、というかんがえから生まれた映画、「未知との遭遇」が日本でもひょうばんになり、ふたり組みの女性歌手がうたう歌、「UFO」も大はやりした。
そんなときに、わたしはNHKテレビの朝の番組で、荒井さんをたずねる放送をした。
「荒井さん、その後、UFOをごらんになることができましたか?」
「いや、それが、まだなのですよ。」
荒井さんの顔はわらっていたが、すこしさびしそうだった。
「SF作家の星新一さんも、わたしがみたのなら、UFOのそんざいをみとめる、といってくれているんですけどね。」
UFOの資料でいっぱいのへや。そういう荒井さんのよこから、こんどは、おくさんのお話。「すきでやっていることですから、わたしも、やめさせるのをあきらめました。せめて、一度でいいから、大きなUFOをみせてあげたくて…。」
「ほんとうに、そうおもいます。わたしも、なにかあるんだ、空中か、地表にちかいところで観測されたもので、その実体がなにかわからないものが、そんざいするんだ、とかんがえているのですけれど…。」
とわたしは話した。これには、わけがあった
京都の大原の旅館のうら庭に、円盤が着陸した。そのときのあとがのこっている、というので、民間放送テレビ局のディレクターと、でかけていったことがある。
庭には、直径十センチ、ふかさも十センチぐらいのあなが、三つあった。
「そのなかに虫をいれてみたら、ころりと死んだんですよ。」
と旅館のおかみさんがいう。
わたしは写真をとろうとおもって、シャッター=スピードをきめる自動露出計つきのカメラのファインダーをのぞいた。ところが、なかのはりはゆれつづけていて、とまらない。
ではと、こんどはてきとうにスピードをきめて、シャッターをおした。が、なんとしたことだろう。シャッターがきれないのだ。
「こわれたのかな?」
あとで、カメラ屋さんでしらべてもらったのだけれど、どこもこしょうではなかったのだ。
着陸のしるしは、アメリカの報告にもある。おりたあたりの植物が、しおれたり、かれたり。あるいは、動物がおちつかなくなったり。そこから、ラジオ・テレビ・電線などや、自動車にこしょうがおきるという報告も、かずおおくあるのだ。(つづく)
参考文献 講談社 おはなし子ども新聞4 びっくりふしぎめぐり 日本児童文学者協会編 昭和57年7月10日 第1刷発行 68頁